僕の瞳は左右で違う。左目は日本人らしい黒い瞳をしているが、右目が薄い茶色をしているのだ。違うといってもそんなに異様なほどの色違いではない。左右で違う瞳を持つ人だって大勢いる。何も僕だけが他人と違うとは言えないのだと思っていた。
だが、人間というものはちょっとした違いで攻撃をしてしまうもののようだ。どうして、人というものはそんなに愚かなんだろう。家柄が違う、人種が違う、職業は何をしているか、金があるかないか、美しいか醜いか、性格が明るいか暗いか、そんなちょっとした違いで、人というものは平気で差別したり、蔑んだり、苛めたりする。 そんなわけで、僕もその苛めの対象にきっちり当てはまっていたのだ。さらに最悪なことに、僕は両親からも疎まれた存在だった。これも僕のような身体的特徴のことを知ろうともしない無知な親だったが為の悲劇としか言いようがない。 ただ、僕はまったくの不幸というものでもなかった。僕にはたった一人理解を示してくれた大人がいたのだから。その人は僕の名付け親でもある。母の妹の沙羅おばさんだ。 「マリー、あなたの瞳は本当にきれいだわ」 彼女はおっとりとした口調でそう言っては、おもむろにお菓子をくれた。僕はあまり甘いお菓子は好きではなかったが、彼女に悲しい顔をさせたくなくて、ありがたく受け取っては嬉しそうにお菓子を食べた。 彼女は僕のことを「マリー」と呼ぶ。もちろん、それが本名というわけじゃない。僕の名前は「毬也」だ。「マリヤ」と読む。その名前自体もおかしな名前だと、思春期の僕は思うのだ。だって、まるで女の子みたいな名前じゃないか。その名前のせいで小学生の時にどれほど苛められたことか。彼女のことは好きだったが、どうして僕にこんな女みたいな名前をつけたのか、中学に入ってすぐに聞いてみたことがある。 「あなたのお母さんが名前をつけないんだもの。しょうがないじゃない」 彼女はそう言った。そんなことは別にどうでもいい。母が僕を疎んじていたことは痛いくらい身に染みて感じてきたことだから、わざわざそんなことを言わなくてもいいのに。彼女は少し思いやりに欠けるところがあった。だが、もしかしたら、僕は叔母である彼女に一番似ていたのかもしれない。僕も彼女の言動と似たような言動をすることがあるから。 「夢をね、見たの。とってもきれいな男の人が出てきてね。その人も左右で瞳の色が違っていたのよ。とてもきれいな金色と銀色の目をしていたわ。私、聞いたの、あなたの名前はなんて言うのって。そしたらマリーって言ったのよ」 さすがの彼女も男の子に「マリー」という名前を本名としてつけるのはためらったそうだ。思いとどまってくれてよかった。そのままの名前をつけられていたら、いかな僕でもグレていただろう。もっとも、今だって半分グレているようなものなのだが。 「それにしたって、マリヤはないだろう。いくら漢字で也をつけたからって、どう聞いても男の名前じゃないじゃないか」 「マリーはその名前嫌いなの」 名前のことで不機嫌になると、必ずといっていいほど彼女は泣きそうになる。僕は彼女の涙は苦手だ。 「別に嫌いってわけじゃ…」 「よかったあ」 さっき泣きそうだったのに、満面の笑みで僕を見つめてくる。僕はそんな彼女が大好きだった。いつしか僕の理想の女性は沙羅おばさんのような人となっていった。ちょっとおっとりした雰囲気で、世間知らずなお嬢様タイプ。僕は自分でも自覚があるくらいプライドの高いところがあったので、女性は男より少しばかり馬鹿な方がいいと思っていた。男と肩を並べて己の賢さを前面に出したような強気な女は好きではなかった。それは沙羅おばさんとはまったくの正反対だったから。たぶん、彼女が僕を受け入れて優しくしてくれたのも、そのおっとりとした性格によるものだったのだろう。僕はそれを本能的に感じ取っていたのだ。だから、僕は彼女が好きだった。 とはいえ、おっとりとした女がすべて僕のタイプであるかといったらそれは違うだろう。現に勝気ではしっこく、人前に出ることが好きなプライドの高い女にも、自分のような苛められっ子に対して優しくしてくれる者だっているのだ。それを教えてくれたのは小学生の頃に同じクラスだった麻耶という名前の女の子だった。クラスの男子たちのほとんどが僕に対して肉体的な苛めをしてきていたし、女子たちは直接には苛めてはこなかったが、陰では僕への悪口を言い合っては嘲笑っていた。陰でとはいっても、僕に聞こえるようにの陰口だった。 そんな中で麻耶だけは僕の味方だった。とはいっても表立って味方をしてくれたわけじゃない。もちろん、僕は彼女の気持ちもわかっていた。クラス中に苛められているような子を庇えば、どのような仕打ちが待っているかは一目瞭然だ。だから、みんなの前で庇ってくれない彼女のことを一度だって恨んだことはなかった。 彼女は少し沙羅おばさんに似ていた。だから好きになったんじゃないかと思う。僕は小学校の卒業式に彼女に告白した。中学に行っても仲良くしてほしいと。 「あたし、最近は教会で聖書を読んだりしているの。そしたら、イエス様を生み出したのがマリヤだって書かれていた。毬也君もいつか神様を生み出すのかしらね。ねえ、毬也君、自分で変な名前だって思わなかったのかな。それに、あなたの左右で違う目で見つめられると気持ち悪くって…知ってたかしら、あなたの右目って時々金色に輝くことがあるのよ」 子供は残酷だ。思ったことを正直に言い放つ。彼女には悪気はなかったのだろう。あったとしたら最悪だ。自分の放った言葉がどれほど相手の心を傷つけるか、それを知った時に優しければ優しいほど苦しむだろうから。彼女は言った。同じクラスにでもなれば、また仲良くしてあげてもいいわよ、と。僕はそれにぎこちなく頷くだけで、強張った笑顔を向けるのが精いっぱいだった。そして、僕たちは同じクラスになることもなく、彼女はもう二度と僕に近づいてくることはなかった。 中学になってからは目立った苛めは少なくなったが、それでもまったくなくなったわけではなかった。夏休みが終わる頃には、他の学区からの女の子たちが何人か告白してくるようになり、女の子が寄ってくると、それにあやかろうとして同じく別学区の野郎たちが僕にすり寄ってくるようになった。昔からの同級生たちは、それを遠巻きに見ているだけで、それでも時々ちょっかいを出してくる程度になっていった。やっと平穏が訪れたと思った。 ところが、ある日、それは起きてしまったのだ。 何がきっかけだったのか。僕は上級生の女子に体育館の裏で告白されたのだった。いつものように断った。そして、いつものようにその日は終わるはずだった。だが、その日は違っていた。思えば僕は肌で感じ取っていたのかもしれない。その日はいつもと違うと。 僕の耳に微かな歌声が聞こえた。誰が歌っているのだろうと思ったのだが、もうすぐで合唱コンクールがあるということを思い出した。そうか、音楽室で練習しているのだな。男の声か女の声かよくわからない。とても透き通ったきれいな声だ。でも待てよ。この楽器の音色は…ピアノではないようだった。震えるような鳴き声のような音が歌声に交じって聞こえる。ギターでもない、バイオリンでもない。よくわからない音だ。 「でも、心が落ち着く。なんていう楽器なんだろう」 僕は目を閉じてその不思議な音色に聞き入っていた。と、次の瞬間。僕はその場に尻もちをついていた。誰かが突き飛ばしたのだ。 「誰だ」 目を開いてみると、そこには小学校の時によく苛めてきた奴が立っていた。小学校の時から大柄な奴だったが、中学になるとさらに身体が大きくなって、しかも短気ですぐ怒っては手が出るどうしようもない奴になってしまった。まずい奴に見つかったな。僕のその気持ちが顔に出たらしい。奴の顔がゆがんだ。 「おまえ、先輩と何を話してた」 奴は言った。怒りで声が震えてるようだった。 「先輩…」 ああ、そうか。思い出した。さっきの上級生、奴と同じ部の先輩だ。そうか、奴は彼女が好きなのか。 どうしてそんなことを言ってしまったのかわからない。僕は奴に言い放っていた。奴がもっとも聞きたくない言葉を。 「彼女は僕のことが好きなんだってさ。告白されたんだ。おまえじゃなくこの僕にね…なにをするっ…」 息ができない。ものすごい勢いで奴が胸倉をつかんできたのだ。吊られるような恰好で締め上げてくる。目の前が暗くなってくる。意識が遠のく。さっきまで遠くで聞こえていたはずの歌声が、まるで耳元で歌っているように聞こえてくる。たぶんそれは息が出来なくなっての幻聴だったんじゃないか。僕はこのまま死んでしまうのか。嫌だ。嫌だ。嫌だ。死にたくない。死にたくない。僕は絶対に死なない。 渾身の力を振り絞って、奴の身体を突き飛ばした。 「がっ…」 何か鈍い音とともに変な声が聞こえた。同時に何かが倒れる音。しかし、それどころじゃない。息が出来なかったせいで喉が痛い。僕はひとしきり咳をした。 そして、少し落ち着いた後に奴に目を向けた。 「あ…」 奴は少し離れた場所に転がっていた。にじり寄ってみると奴の頭から血が流れていた。見ると奴の頭のそばに大きな石があって、そこに血の跡が。まさか、死んでしまったのでは。怖くなった。僕は人殺しになってしまったんだ。 逃げた。そこから僕は逃げた。 そんな自分をまるで追いかけてくるかのように、ずっとあの歌声は聞こえ続けていた。どうして歌声が聞こえるのか。走って逃げている最中、そのことだけを考えていた。奴のことを思い出すのが怖くて、歌声のことだけに神経を集中した。 そうだ。これは耳鳴りに違いない。あの時、聞こえた歌声と楽器の音色が、自分の脳裏に焼き付いてしまったんだろう。最悪な経験とともに、焼き付いて離れなくなってしまったに違いない。 (僕は殺人者になってしまった) 家に戻ると自分の部屋にこもってベッドの布団にもぐりこんだ。家には誰もいなかった。父は単身赴任で家にいないし、母はいつも出歩いていてほとんど家にいなかったから。家中がシーンとしてまるで深海の底にいるみたいだ。そういえば、あの歌声はもう聞こえてこない。最悪の記憶とともに刻み込まれた歌声であっても、今の自分には必要だと思った。何か音がほしい。何か。 僕はもそもそと布団から出てくると、机の上に置いていたラジオをつけた。何でもいい。今の自分を落ち着かせる他人の声が聞きたかった。 「…僕の歌で誰かを救えたら本望です」 ラジオでは歌手がそう言っていた。 救い、か。その歌はこんな自分のことも救ってくれるのだろうか。そんなことがあるんだろうか。歌で人が救えるって?だったら、今、すぐに、僕を救ってくれよ。人殺しの僕を救ってくれよ。どうせ殺人者には誰も救いの手なんか差し伸べてくれないんだ。どうせ…。 その後、ラジオからはその歌手の歌が流れた。自分の夢の為に誰かを犠牲にして生きてきて志半ばで亡くなった者が、今までやってきた自分の行いを後悔し、死に間際に、生まれ変わったら今度は誰かを救う人間になりたいと願って死んでいくという、そんな内容だった。 人は、死に間際にならないと自分の犯した間違いに気づけないのだろうか。そんなことはないと思う。だが、間違いを犯してしまってから後悔しても遅いのではないか。それが殺人だとしたら、殺された人間はもう二度と生き返らないのだから。 「僕は人間じゃない。人間であるはずがない」 この日以降、僕は学校に行かなくなった。外にも一歩も出なくなった。部屋からもほとんど出なくなった。 殺してしまった奴はどうなっただろう。あれから何日も経つ。テレビも見ないし新聞も見ない。もちろん母は何も言わないし、僕も聞かない。たぶん、僕が殺したんだってことは気づかれていないのだろう。だから、警察も来ない。ただ、学校の先生はやってきた。当たり障りのないことを扉越しに言ってきた。 「お母さんも心配しているよ」 嘘だ。そんなはずはない。 「学校のみんなも君を待ってるよ」 それも嘘だ。苛めてる連中がいるってこと知らないからそんなことが言えるんだ。 僕が何も話さないので、先生は諦めて帰って行った。 その日の夜、水が飲みたくなったので台所に行こうと自分の部屋を出た。リビングは真っ暗で、母はもう寝たようだった。だが、リビングのソファに誰かが座っていたのだ。僕はリビングの明かりをつけた。母だった。 「どうして…」 母がつぶやいた。 「どうして、あんたなんか産んじゃったんだろう」 そこまで言うか。勝手に産んでおいて、勝手に子供を否定して、勝手に産んだことまでも否定する。 「じゃあ、なんで僕を産んだんだ。産まなきゃよかったじゃないか。それを今さら何言ってんだよ」 僕の声に母がゆっくりと顔を上げた。 げっそりとした表情の顔が明かりに照らされていた。まだ若いはずの母が、まるで年取った老婆のように見える。 「子供でも産めば、あんたの父さんが戻ってくると思ったのよ…」 「なんだよ、それ…」 母はポツポツ喋り始めた。 父は母以外の女と仲良くなってしまったらしくて、家に寄りつかなかったそうだ。それもあって、計画的に子供を身ごもった。そうすることでしか繋ぎとめられないと思ったようだった。 「それなのに、生まれてきたあんたはまるで誰にも似てなかった。私にもあの人にも…あの人の心はますます私から離れていったわ。私が他の男との間に作ったんじゃないかって。そんなはずあるわけないのに」 容姿だけじゃなく、僕の目は左右で色が違っていた。母は、自分のしてしまった過ちをいつも責められているようで、息子である僕をまともに見れなくなった。愛情も持てない。産んでしまった責任だけが重くのしかかってきて、ずっと生きた心地がしなかったという。 「あの人も戻らない。きっと離婚されるのも時間の問題。私はどうしたらいいの」 自分勝手な言い分にはらわたが煮えくり返るほど怒りがこみあげてきた。こんな人から生まれてきたことを恥じた。 僕はいったい何の為にこの世に生を受けたんだ? こんな自分勝手な奴の為に僕は生まれたというのか? 僕には普通に生きる権利もないのか? ああ、ああ、どうせ僕は生きてちゃいけない存在だ。 人だって殺した。 僕がそんなに邪魔だっていうなら… 「そんなに僕がいらないって言うなら、僕のこと殺せばいい」 キッチンの洗い場にあった果物ナイフを手に取って、母に近寄った。ナイフを突きつけて叫んだ。 「殺せばいいんだよ。僕なんて」 「何を言うの…」 母の怯えた表情が妙に癇に障る。 何だよ、まるで自分は被害者のようなその顔つきは。被害者は僕のほうだ。あんたには怯える資格なんてない。 「近寄らないで。あっちいって」 その言葉で僕の理性は吹っ飛んだ。 ナイフを握りしめ、勢いをつけて母に体当たりした。 いきなりの事で母も自分に何が起きたのか一瞬わからなかったようだ。 僕の顔と自分の胸に刺さったものを交互に見て、やっと何が起きたのか気がついたようだ。だが、母は何も言葉を発することなく崩れるようにその場に倒れこんだ。 母の胸にはナイフが刺さったままだった。それを抜くこともできず、母は血を吐きながら死んでいった。僕は二人も人を殺してしまった。きっと死刑になる。二人も殺したんだから。それでもいい。僕は生きてちゃいけないんだ。それとも、今ここで死のうか。 「生まれ変わったら誰かを救う存在になりたい…誰かを救えたら…そんな存在に…」 ラジオで聞いた歌を口ずさむ。 僕はその場に座りこんで歌い続けた。いつのまにか、学校で聞こえていたあの歌声と重なって僕の耳には聞こえた。震えるような不思議な楽器の音も聞こえる。僕はきっと気が狂ってしまったに違いない。そんな思いが浮かんでは消えていく。 僕と母を見つけてくれたのは沙羅おばさんだった。次の日の朝、訪ねてきた彼女が見つけた。 僕は結局死ねなかった。自分で死ぬ勇気はなかった。でも、きっと死刑にしてくれるだろう。それで僕は死ねるんだ。それで僕は死ななきゃならないんだ。二人も殺したんだから。 「たけしくんなら見たわよ」 僕が奴のことを叔母に聞くと彼女はそう答えた。 「頭に包帯を巻いてたからどうしたのって聞いたら、転んで頭を怪我したって言ってたわよ」 どういうことだ。奴は死んだんじゃなかったのか。そんな…生きてたっていうのか。 僕はほっとしたと同時に怖くなった。僕が怪我させたことは奴はわかってるはずだ。そのことで脅してまた苛めてくるかも…いや、もう苛められることはないか。僕は刑務所に入るんだから。死刑になるんだから。 「かわいそうなマリー」 叔母が僕を抱き締めた。 「あなたには将来があるわ。殺したのは私よ。あなたは何も知らない。何もしてない」 諭すように彼女はそう言う。 耳に心地よい悪魔の囁きだ。 そうだとしたらどんなにいいだろう。 でも。 「ダメだよ、おばさん」 僕は身体を離して言った。 「それはいけないことだよ。母さんを殺したのは僕だ」 「何を言うの。あなたは…」 「僕は逃げないよ。逃げた結果がこれだったんだ。僕は逃げちゃダメだったんだ。昔も、そして今も」 警察に電話してから、僕と叔母さんはいろいろな話をした。 母が昨夜話してくれたことや、学校での苛めのこと、初めて好きになった女の子にふられたことや、何人かの女の子に告白されたことなど、なんでも話した。あと、学校で聞いた不思議な楽器の音色のことも。彼女は僕の話を聞いて「それはもしかしたら胡弓かもしれないわね」考え込みながらそう言った。 「胡弓?」 「ええ。バイオリンでもないギターでもないとしたら、他に弦楽器で震えるような音色が出せるといったら胡弓くらいしか私は思いつかないわ。中国の音楽でよく使われる楽器よ」 「胡弓…」 いつか、その楽器を弾いてみたいと思った。 (ああ、そうだった。僕は死刑になるから弾けないか…) そんな話を叔母にしたら「そんなことないわよ」と言われた。 「よくはわからないけれど、そんなに簡単に死刑にはならないんじゃないかしら。でもやっぱり私が殺したことにしない?」 「もう決めたことだから」 「そう…」 僕は叔母の淋しそうな顔を見つめた。 この人はこの人で僕のことを心から心配してくれてるんだ。母も叔母の半分もそんな思いやりを持ってくれていたら、僕もこんなふうにならなかっただろうし、母自身ももっと長生きできただろうに。 「おばさんが僕の親だったらよかったのにな」 僕のつぶやきに彼女は顔をくしゃくしゃにさせて泣き出した。 「かわいそうに。マリーは悪くないのに。ほんとにかわいそうに」 彼女は僕を抱き締めた。自分が親になってあげるから安心していいよって、そう言いながら。 僕は彼女に抱きしめられながらぼんやりと考えた。 僕の人生って何だったんだろう。とはいえ、まだ14年くらいしか生きてないけど。でも、何だかもう何十年も生きてきたようなそんな気がする。もっとも、本当に何十年も生きてきた人からすれば「まだまだだ」って言われるんだろうけど。 僕のこれからはきっと辛い人生なんだろうな。犯罪を犯したわけだし。それについては素直に罪は償わなければならないって思う。だけど、ここまでに至る経緯は多くの人にわかってもらいたい。そう思うことは傲慢だろうか。でもきっと、ほんのちょっとのことで人は簡単に犯罪者になってしまうんだ。 何も僕が特別変わってたってわけじゃない。確かに人とは違う外見をしてたかもしれない。けれど、これだって何度も思うけど、僕だけってわけじゃない。他にも目の色が左右違う人だっているんだ。それだけで差別される人ばかりじゃない。僕はただ運が悪かっただけなんだ。だからって人を殺していいというわけでもないんだけど。 僕なんかまだ叔母さんっていう理解者がいたけれど、僕よりもっと過酷な境遇な人もいただろう。けれど、きっとその人は人なんて殺してないはず。殺しちゃった人もいたかもしれないけれど。でも、全部がそうなるわけじゃない。 「あんたの母さんは殺されて当然だわ」 叔母がつぶやいた。自分の実の姉なのに。けれど、叔母も姉である僕の母に子供の頃からいろいろ物思うところがあったという。 母は叔母が少し頭が足りないと思っていたらしくて、それでいつも叔母を馬鹿にしていたそうだ。親も姉と妹を比べては、美人で頭のいい姉ばかりひいきして叔母さんは淋しい思いと悔しい思いをしていたそうだ。 「今でも覚えてるけれど、姉が結婚した時、私に言ったものだった。あんたなんか一生結婚なんてできないわよって。その時は悔しくて本当に殺してやりたいって思ったけれど、その後、姉の結婚生活は必ずしも幸せじゃないんだって知ってからは、いい気味だわと思った」 話を聞いていて、僕は少し不思議に思ったことがある。それを正直に叔母に話してみた。 「でも、どうしてそんなに憎いお姉さんの子供である僕を、こんなに愛してくれたの?」 彼女は僕をじっと見つめた。その視線はとても温かで、ああ、こんな視線を母からもらっていたらと何だか悲しくなってきた。 「なんででしょうね。最初は子供が生まれるって聞いた時は正直頭にきたものだったわ。義兄とうまくいってないっていうのは薄々感じていて、ざまあみろって思ってたけど、子供なんてできちゃったら親子三人で仲良くなっちゃうんだろうなあって。でも違ってた。ますます夫婦仲は悪くなっていった」 叔母は僕の顔を優しく撫でると続けた。 「今でも忘れない。あなたが生まれて義兄は姉の不義を疑った。その瞬間からあなたは姉からも義兄からも疎まれた存在になってしまった。まるで自分自身を見てるかのようだった。親にも疎まれ、姉からも迫害されていた自分を。それに、あなたの目はそりゃあとてもきれいだったのよ。姉たちは悪魔の目だなんて思ってたようだけど。私はね、あなたという存在に救われたのよ。ああ、私はこの子の為に生きなければならないんだってね」 僕に救われた? こんな僕でも誰かを救ってるというのか? そうか。 それを知ってれば僕は乗り越えられるかもしれない。 全てのことから。 「生まれ変わったら誰かを救う存在になりたい…誰かを救えたら…そんな存在に…僕はなりたい」 思わずあの歌がついて出た。 「その歌知ってるわ。私も好きな歌よ」 そして、僕たちは歌った。警察がやってくるまで二人で囁くように歌い続けた。 僕の耳には叔母の歌声だけじゃなく、あの胡弓の音色も聞こえていた。きっといつか、あの楽器を弾こう。そして、その楽器に合わせて歌ってみようと。 どんなに長い時間がかかってもいい。 僕は歌うんだ。 そして、僕が歌で救われたように、もっと苦しんでる誰かを救えるそんな存在になりたい。きっとなってみせる。僕はそれだけを目標にこれから生きていくんだ。 僕は絶対に生まれ変わってみせる。 たとえどんなに迫害を受けても、歯を食いしばって耐えてみせる。 たった一人でも僕を理解してくれる人がいるのだから。 だからきっと生まれ変わることができる。 心から信じていれば。 そして、沙羅おばさんがいれば。 僕はなる。 生まれ変わったら誰かを救う存在に。 僕はなるんだ。 必ず。 2012年1月23日更新 |
これは2010年に投稿した原稿です。その前の年は賞を頂いたのですが、今回はダメでした。 私はどちらかというと賞を頂いた小説より、こっちの小説の方が好きなんですよね。 お気づきの方がいるかどうかわかりませんが、私がライフワークとして書き続けている、とある物語にリンクした内容となっているのです。だから、思い入れは強くあります。 さて、この小説内に出てくる歌ですが、これを書いている時にガクトさんの歌も盛り込めるなあと思い、その歌のテーマも交えて書いてみました。 歌で人が救われる。 それを私は身を持って体感してきました。 それをこの小説で表現したいと思って書いたのです。 つまり、この小説は私自身を救う小説ともいえるのです。 私は、私の書く小説すべてに救われ続けています。 書いてはそれを読んで救われ、救われたいがために書き、そんなふうにして私は物語を書き続けてきました。これからもそんなふうにして書いていこうと思っています。 この小説が誰かにとっても「好き」になってくれたらいいなと願いつつ、サイト設立12年の本日更新させていただきました。 ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。 |