故 郷


「僕には人に知られたくない故郷がある」
 英男はぼそりと呟いた。
 南向きの縁側に座って、彼は暮れゆく空を見つめた。視線を下に移し、それほど広くない庭を見渡すと、様々な鉢に植えられた盆栽だの名も知らぬ植物だのが雑多に置かれている。しかも、それだけでなく庭中いろいろな木々が植わっていた。
 そういった緑たちに埋もれるように、井戸水を汲み上げるためのポンプが庭の隅にひっそりと設置してあった。ポンプの下には水をはったタライが置かれてあり、スイカやトマトなどが涼しげにつかっている。
「コキョウってなあに?」
「え?」
 かわいらしい声に英男は隣に目を向けた。
 彼はひどく驚いた。いつのまに人が来ていたのだろう。六才くらいだろうか。くるくるとした巻き毛がかわいらしい女の子だった。
 彼女は英男と同じように縁側に腰を掛け、とどかぬ足をぶらぶらさせている。
「ねえ、おにいちゃん。コキョウってなんなの?」
 彼女は屈託ない笑顔で聞いてくる。
「生まれたとこだよ」
 そう答える英男の耳に蝉の鳴き声が聞こえた。
「ふぅ〜ん」
 女の子はさほど興味を示さず、つまらなそうに口をとがらせた。ノースリーブの白いワンピースがとてもよく似合っている。
 彼女はむきだしになった細い腕をかりかりとかくと、にこっと笑った。英男も思わず微笑み返す。だいぶ暗くなってきたので定かではないが、きっと蚊にでもかまれて赤くなってることだろう。
「なんで長袖きてるの?」
「え?」
 英男は面食らった。唐突に何でも聞いてくるところなど、やはり幼い子供だからだろうか。
 確かに彼は長袖の学生服を着ていた。夏にはあまりに不似合いな恰好である。
「それにその頭、おっかしーの」
 少女はくすくす笑った。
「この頭のどこがおかしいんだ?」
 英男はいがぐり頭を手でなでまわした。
「だあってぇ」
 女の子はますます声をたてて笑う。まるで鈴をころがしたような笑い声で、聞いているとなんだか妙にくすぐったい。
 英男はもう何も言わなかった。何だかこうして笑われることも、どうでもいいような、そんな投げやりな気持ちになる。
「あたし、美津子」
 突然、少女が自己紹介をした。英男の顔を真面目な顔で見つめている。年のわりに大人びた顔つきだった。
「ぼ、僕、英男」
 彼はどぎまぎしてどもった。よく見るときれいな女の子だ。
(なんだろう。誰かに似ている)
 英男は少女の顔をじっと見つめた。すると美津子は嬉しそうに微笑んだ。
「お母さんがね、赤ちゃん生むんだ」
「へ、へえ、そうなんだ」
「今日生まれるみたいなの。おじいちゃんがさっき言ってた」
「そうか。お盆に生まれる子なんだね」
 英男は感慨深くそう言った。ずいぶんと含みのある言い方だった。
「お盆に生まれるとどうなの?」
 その言い方に不安を感じたのか、美津子はおそるおそる聞いてきた。
「お盆っていうのはね。死んだ人が帰ってくる日なんだ。玄関なんかで火をたいて、その煙を目印にして帰ってくるんだよ」
「さっき、おじいちゃんが火たいてた」
 美津子はぶるっと身体を震わせた。英男はこくりとうなずく。
「だから……」
 彼は声を落とした。何となくこのかわいらしい少女を怖がらせてみたくなり、英男は思わず怪談を語るような口ぶりで喋りだす。
「死んだ人が淋しくて、もうあの世には帰りたくないって思ったら、お盆に生まれてくる赤ちゃんに入り込むんだ」
「あ、それ聞いたことある」
「え?」
 英男は間の抜けた顔をした。
「死んだ人は身体がなくてタマシイだけしかないから、生きてる人の身体に入り込むことができるんでしょ?」
 美津子は大人が何かを説明するときみたいに人指し指を立ててそう言った。
「う、うん」
 拍子抜けしてしまい、英男は目を白黒させる。すると、少女はごくさりげない口調で聞いてきた。
「おにいちゃんは幽霊って見たことある?」
「えっ!」
 英男はぎょっとした。お盆にそういう話は勘弁してくれと思ったが、自分も同じようなことをこの少女に話してたのだと気づき、ばつが悪くなって下を向く。
「ねえ」
 美津子はそんな英男の顔を下からのぞきこんできた。
「…………」
 英男は答えない。正直言って、好奇心むきだしのまなざしを向ける彼女に彼は辟易していた。だが、いつまでもじっと見つめて答えを待つ彼女に根負けしてしまい、しかたなく口をひらいた。
「僕は見たことないよ」
 少しぶっきらぼうな言い方だった。彼は、もうこの話はしたくないと思ったが、少女はやめるつもりはないらしく喋りつづける。
「死んだらタマシイはどうなるんだろうね。お盆じゃなかったら、やっぱりそこらへんをふらふら飛び回ってるのかなあ」
 美津子は天井の隅などに視線を巡らせた。
「天国か地獄に行くんだよ。ふらふらなんてしてるもんか」
 英男がそう言うと、なぜか美津子は変な顔をした。彼はそれを見て苦笑する。
(僕だって本当のところよくわからない。魂のこと、天国のこと。死んだ人はどこに行くんだろう。死んだら魂はどうなっちゃうんだろう。生まれ変わりって本当にあるんだろうか。もし死んじゃって生まれ変わったら、僕のこの意識、英男であったときの心ってどうなっちゃうのかなあ………)
「それで、なんでおにいちゃんのコキョウは人に言えないの?」
「は?」
 英男はきょとんとして美津子を見つめた。
 あまりに深く物思いにふけっていたため、彼は何を聞かれているのか理解するのに時間がかかった。
(不思議な子だ……)
 英男は好奇心で目をきらきらさせている美津子の顔を凝視した。そして、無性にこの少女に自分のことを聞いてほしいと思った。
「僕の生まれたのはイヤなとこだった」
 それでも英男は心で思う。なんで、こんな年端も行かぬ子供に喋ろうとするのか、自分で自分の行動が理解できない、と。
 煙が目にしみる───そう思いながら、彼はまぶたをしばたたかせた。
「僕の父は厳しい人だった。いわゆる軍人上がりってやつで──偉い人だったってことだよ──自分にも厳しかったが、それ以上に他人にはもっと厳しい人だったんだ」
 すっかり日は暮れてしまい、空にはちらちらと星の光が見えはじめていた。いつのまにか誰かが蚊取り線香を持ってきてくれたらしく、煙が目にしみたのはこれのせいだったらしい。
「僕には兄弟がたくさんいてね。僕は一番お兄さんだったんだ」
「女の子はいたの?」
 美津子は好奇心まるだしで聞いてきた。
「いたよ。ひとりだけね。六人兄弟の一番下の子だった。かわいい子だったよ」
 英男はじっと美津子を見つめながら懐かしそうにそう言った。
「へへ……」
 美津子は自分のことを言われたような気がしたのか、恥ずかしそうに笑った。
「僕たちはとっても仲良しでね。いつも一緒に遊んでた。川に魚取りに行ったり、山登りに行ったり、海に泳ぎにいったり。もちろん家の手伝いもしたよ。鶏を飼っててね。卵を取ったりした。それにヤギも飼ってた。乳しぼりするのは面白かったな。コツがあって、こうやってうまいぐあいにやらないと、お乳が出てこないんだ」
 英男は乳をしぼる真似をしてみせた。それを興味深く見つめる美津子。見よう見まねで彼女もやってみせる。
「でも、僕たちには一番の遊び場があったんだ」
「なになに?」
 少女は目を輝かせた。
「工事現場のトロッコに乗って遊ぶこと」
「トロッコってなあに?」
「これくらいの箱に車がついてるやつで、工事をするときに土とか道具とかをそれに乗せて汽車を走らすみたいに転がすんだ」
「おもしろそう」
 彼女は手をたたいて喜んだ。
「これに乗って、坂の上から転がすんだ。おもしろくってやめられないんだ、これが」
 その楽しさを思い出したのか、英男は喜々として話した。
───チーン───
 そのとき、奥の部屋から金属が鳴る音がした。英男が首を伸ばして奥へと視線を向けると、美津子が言った。
「きっとおじいちゃんよ。お仏壇のある部屋にいるんだわ」
「そう」
 英男はうなずくと、そわそわしだした。
「だけど、そんなに楽しいとこなのに、なんで人には言えないの?」
 純粋な疑問をぶつける美津子に、英男はようやく落ち着きを取り戻すと答えた。
「トロッコ遊びを取り上げられたんだよ。しかも、それは兄弟の誰かが父に告げ口したからなんだ」
 苦々しげにそう言う彼だったが、最後の方になるとなぜか声が震えた。
「まあ」
 美津子は驚いて口を両手でおおった。
「あの日から兄弟の絆は終わった。でも僕と一番下の妹は、それからもこっそりトロッコ遊びを続けていたんだ」
「そうよね。あたしだってきっとそうしたと思うわ」
 彼女はしきりにうなずいている。
「僕は、本当は妹とふたりだけで遊べるのがとても嬉しかった」
 英男は暗くなった庭に目を向けて言った。
「確かに僕たち兄弟は表面的には仲が良かったんだけど、みんな妹に懸想しててね。本当のところ、けんかばっかりしてたんだ」
「ケソウ……?」
 美津子が不思議そうな顔をすると、英男はやさしく首をふった。
「美津子ちゃんは知らなくてもいいことだ」
「ふう〜ん」
「でも……」
 すると英男は声を落とし、とてもつらそうに言葉を続ける。
「事故が起きてしまった」
「事故?」
 美津子はびっくりして目を見張った。
「妹が乗っていたトロッコがひっくり返ってしまったんだ」
「ええっ?」
───チーン───
 再び仏壇から音がした。そういえば、いつのまにか奥の部屋から煙が漂ってきている。それは蚊取り線香とは違う、仏壇に飾られる線香の匂いだった。英男は深呼吸してその匂いを嗅いだ。
「ごほごほ……」
 咳き込む英男。蚊取り線香の匂いとごちゃ混ぜになってしまったらしい。確かに同じ煙なのだろうが、違うものは違う。心で悪態をつく英男であったが、蚊取り線香にしてみればいい迷惑であろう。
「それで、妹さんは?」
 美津子は英男を急かす。
 人ごとだと思っていい気なものだ、と彼は思った。もしこれで死んだのだと聞いたら、このかわいらしい少女はいったいどういう反応を示すだろう。そんな軽い誘惑にかられた英男だったが、思いとどまって答えた。
「軽い怪我ですんだんだ」
「まあ、よかった!」
 彼女は手をたたいて見も知らぬ女の子の無事を喜んだ。やはりこの子は良い子だ。英男は意地悪い自分を心で罵った。
「おや?」
 またもや、英男の鼻がひくひく動いた。
「何だかいい匂いがする」
「おばあちゃんだわ」
 同じように、美津子も鼻をひくつかせた。
「お盆の夜はいつも焼きナスをするの」
「焼きナス……」
 英男はごくりと喉を鳴らした。
「仏さまが大好きなんだよって、顔をしわくちゃにさせて言うんだよ。なんで焼きナスなんかが好きなんだろうね。もっとウナギの蒲焼だとか、焼肉だとか、おいしいものはいっぱいあるのに」
「きっと好きだと思うよ、焼きナス……」
 英男は物思いに沈み込みながら呟いた。
「きっとね……」
「おにいちゃん……」
 美津子が気づかうように言った。六才の女の子にしては妙に大人びた感じだ。
 そのとき、暗くなった庭を青白い小さな光がちらちらしだした。スイカがつかっている井戸水へとまっすぐ向かっている。
「蛍だ」
 英男が嬉しそうに言った。
 数匹の蛍が、つかず離れずで飛び交いながらポンプやタライの回りをぐるぐる回っている。
「妹とよく蛍をつかまえたなあ」
 英男は懐かしそうにそう言った。
「おにいちゃん、コキョウに帰りたいんじゃないの?」
「え?」
 唐突な美津子の問いかけに、英男の胸がどきりと鳴った。すると、彼女は目を細め、まるで小さな子に語りかけるような口調で喋りはじめた。
「ここをおにいちゃんのコキョウにしてもいいんだよ。あたし、おにいちゃんの妹さんになってもいい。おじいちゃんもおばあちゃんも今はとっても優しいし……ね、そうしようよ」
「美津子ちゃん……」
 美津子の口ぶり、そして表情は何もかもわかっているんだよ、と言ってるように英男には思われた。その様子は彼女の実年齢にまったくそぐわない。
(ああ……)
 英男は自分の目の前がゆらりと揺れるのを感じた。
(だめだ)
 彼は泣きそうになって慌てた。こんな小さな子の前で泣くわけにはいかない。自分は高校に上がったばかりの男の子だ。
(だめだ、泣けない、泣いちゃいけない、男が泣くなって怒られる、父にまた張り倒される、でも───)
「泣いてもいいんだよ」
 美津子が妙に訳知り顔でそう言ったとたんに、英男はぽろぽろと涙をこぼした。雫は頬を伝い、ぽたぽた落ち、学生服のズボンを濡らしていく。
(ああ、身体が軽い───)
 英男は自分の身体が軽くなっていくのを感じた。泣けば泣くほど、まるで鳥の羽になったかのように、身体がふわりと軽くなっていく。そのまま空中に漂っていきそうだ。
(僕も蛍のように空中を飛ぶことができるかもしれない……)
 英男は目を閉じた。このまま夜の闇に溶けていきそうだ。何だか誰かが呼んでいる。しきりに誰かが呼んでいる。
(ああ……)
 英男はため息をついた。自分の身体や心が透明になっていくのが、なぜだかわかった。
 もう蝉の鳴き声は聞こえない。
 彼の五感が感じているのは、蚊取り線香の匂いと焼きナスの匂い、そして───
───チーン───
 奥の仏壇から涼やかな音がした。


「みっちゃん、ここにおったか」
「あっ、おじいちゃん」
 美津子は笑顔を見せて答えた。
「おまえも仏さんを拝まんとな」
 祖父がそう言うと、美津子は縁側から立ち上がった。奥の部屋へと歩きだす祖父のあとをついていく。
 すると、美津子は後ろを振り返った。そこには蚊取り線香が煙をゆらゆらと上げているだけ。誰もいない。彼女はにこっと笑うと前を向いて歩きだした。
 仏壇のある部屋は暗く、足を踏み入れた瞬間、線香の匂いがどっと鼻に入ってきた。だが、美津子はこの匂いが大好きだった。
 座布団に座ると、仏壇の奥に立てられた写真を見つめる。いがぐり頭に学生帽をかぶった少年だ。その前に座る美津子や祖父に、淋しげな表情を向けている。
「おじいちゃん。おじちゃんって頭うって死んじゃったんだよね」
「よく知っとるの」
 祖父は手を合わせ、目を閉じていたが、隣に座る孫へ顔を向けた。
「お母さんが教えてくれたの。ふたりで遊んでるとき、乗ってるトロッコから投げ出されて頭うっちゃったんだって」
「そう。そうじゃった……」
 祖父は痛ましげに呟いた。それは孫に聞かせるというよりも自分自身に向けられた言葉のようだった。
「ワシは厳しすぎたのじゃ。息子たちが末の康子を取りおうて仲たがいするのを恐れたのじゃよ。康子は婆の連れ子じゃった。器量のよい子だったんで、必ずそういうことになるじゃろうとワシは思っとった。案の定やはりそうなってしまったんじゃ。当時、トロッコ遊びが近所の子供らのはやりじゃった。息子たちも康子に気に入られようとやっきになってトロッコ遊びに連れだしていたのじゃ。ワシは危ないからやめれと言っておいたのじゃが、息子たちが聞くはずもない。あいつらは禁じてからもこっそりやっておったらしい。じゃが、あるとき……」
「おじちゃんが告げ口したのね」
 すかさず美津子が言った。
「他のみんなを遠ざけて、おじちゃんはお母さんとふたりでそのままトロッコ遊びを内緒で続けたのよ。そして、ある日お母さんの見ている前で、スピードのつきすぎたトロッコがひっくりかえって、おじちゃんが投げ出された。おじちゃんは、頭をどこかで強くうっちゃったけれど、そのときは何でもなかったんでしょ」
「ワシに怒られると思ったのじゃろう。あのとき、すぐにでも病院に行き、精密検査でもしてもらっとれば……苦しかっただろうに、痛かっただろうに、ワシがもうちょっと親らしい心を持っておったら、息子は今でも元気に………」
 祖父が感極まって絶句したのちも、美津子は淡々と喋りつづけた。
「だいじょうぶ、なんでもないって言いつづけてたんだって。おじいちゃんだけじゃないよ。お母さんだって、今でも残念だって泣いてるもの。でも、おじいちゃん、そんなに悲しがることないよ」
「みっちゃん?」
 にっこりと微笑む美津子は、まるで菩薩さまのように慈悲深い表情をしていた。
「おじちゃんはコキョウに帰れたんだよ」
「故郷?」
 不思議そうに首をかしげる祖父。
「ここにまた戻ってくるよ」
 そう美津子が言ったとき。
───リーン、リーン───
 電話が鳴った。それに誰かが出る。祖母のようだ。
「はい、ああ、康子か。そう、そうか。男の子だったか。がんばったな。すぐみっちゃんを連れてくるから待っておれ……」
 祖母の嬉しそうな声が聞こえてくる。
「おじいちゃん、おじちゃんが帰ってきた」
「え?」
 何のことかわからない祖父は、ただ自分の孫を見つめているばかりである。
「おじいさぁーん、みっちゃぁーん。赤ちゃんが生まれたで───」
 すると、ふたりを呼ぶ祖母の声が。
「あ、ああ……」
 祖父は慌てて祖母のもとへ走った。
「みっちゃんも早く」
 そうひとこと言い置いて。
「おにいちゃん」
 美津子は縁側に立つと、さきほどまで一緒にいた英男を呼んだ。
「英男おにいちゃん」
 彼女は庭に視線を泳がせた。どこにいったのか、蛍はもう飛んでいなかった。
 相変わらず蚊取り線香の煙はあたりを漂っており、仏壇のある部屋から流れてくる線香の煙と混ざって、なんともいえない香りをかもしだしている。
「おにいちゃん」
 美津子はもう一度呼んだ。だが、答えを期待しているわけではないらしい。彼女は何を見ているのか、じっと庭を見つめて言いつづけた。
「妹になったげるって言ったけど、どうやらあたし、おねえちゃんになっちゃうね、英男おにいちゃん……ううん、英男おじちゃん」
 くすりと笑う美津子。それからくるりと庭に背を向けて、彼女は祖父を追いかけた。


 誰もいなくなった縁側。蚊取り線香の煙だけがゆれている。
───ふわり───
 その煙が大きくゆれた。いつのまにか真っ暗になった庭にひとつ、ちらちらゆれる蛍の光が───ゆっくり、ゆっくり旋回しながら縁側へとやってくる。煙を飛び越え、屋内に入り込み、ずんずん奥の部屋へと進入していく。そのまま蛍はまっすぐ仏壇の部屋へと入っていき、位牌と写真のかざってある場所へ───そして写真にとまった。
 仏壇に飾られた、ろうそくの灯火に照らしだされた写真の英男少年は笑っていた。誰もが思わず笑みをこぼしそうな、それほど幸せそうな笑顔だった。


おわり



あとがき

 この作品は1999年鳥取文芸に投稿したものです。もちろん落選しました。
 
 私にはこの英男少年と同じように幼い頃に亡くなったおじさんがいます。しかも、トロッコ遊びをして事故にあって死んだのも同じです。この美津子少女のように、祖父母の家の仏壇に飾られたおじさんの写真を、私は小さい頃から見てきたものでした。そして、おじの死に様をいつも母から聞かされたものです。
 私はあまりに劇的な最期だったおじさんのことがずっと忘れられず、とうとう今回お話にしてしまったわけです。
 おじさんの場合はどうやら内臓破裂だったらしいです。トロッコがひっくり返った時、どこかでお腹を強く打ったということです。母が目撃していたのですが、父親(つまり私にとっては祖父ですね)に叱られるのが怖かったのか、それとも心配をかけるのが嫌だったのか、黙っていたそうです。兄弟たちにも「何も言うな」とわざわざ口止めして。そして、それがもとで亡くなってしまいました。
 
 私は幽霊話が好きです。よく怖い話をしてたりすると霊が寄ってくるとはいいますが、霊の中には怖くないものもあるはずです。むやみやたらと怖がることこそ、霊に対して失礼だと思います。…だからといって頼られても困るのですがね。真摯な態度でいたいものです。
 私には夫のように霊感のようなものはありません。だけど、ここ一番といった時に、私は母方の祖母の存在を感じる時があります。きっと祖母が私のことを護ってくれてるのだと、信じてやみません。
 
 皆さんも霊の世界に謙虚な態度で接してほしいと思います。(決してあやしい宗教ではありませんからね(笑))

2000年8月7日(月)息子の登校日の朝に。




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