実家に行く事になっていた静子は、朝食の片づけをしながらつけっぱなしにしていたテレビを聞くともなしに聞いていた。夫も六時には出勤してしまい、息子の勝也もたった今慌しく学校へ登校していった。いつもなら、ゆっくりとワイドショーを見ながらコーヒーでも飲むところなのだが、今朝の彼女は少々違っていた。
「…ということで、自殺だったようです」
 静子の手が止まった。そして、彼女は振り返った。
 テレビ画面にはコメンテーターが映っており、話題になっているニュースを取り上げて話していた。
「どうして奥さんはそんなことをしてしまったのでしょうね」
「理解に苦しみますよね」
 そのニュースは、長年寝たきりだったという男性が首を絞められて死んでいたというニュースだったのだが、実は本当は自殺だったのだという。男性の妻が自殺であったという証拠品、紐や遺書を隠したのだ。
「殺人となれば、一番疑われるのはその妻ですから、自殺をわざわざ殺されたのだとするのにはどうも理解に苦しみます」
 コメンテーターの若い女性がそう言った。
 夫が自殺してしまったのは、自分が外出していた時だったということで、それで第三者に何を言われるかわからないという恐怖からとっさに隠してしまったのだということなのだが。話によれば、近所の人たちは皆一様に、その妻の事を献身的に夫を看病していると好意的に見ていたという。だから、病気の夫を置き去りにして外出ばかりするような酷い妻とは誰も言わないだろう。
(では何故妻はそのような気持ちになったのだろうか)
 静子はテレビ画面を凝視しつつ、考えた。だが、彼女の視線は決して画面に注がれているわけではなかった。どこか違う場所を見ているようなそんな視線だった。
 ニュースの内容では、看病は何年にも渡っていたという。
(そうね。だからこそ容易に想像はつくと思うのだけど)
 時には病人の存在を邪魔に思ってしまう。そういうことが全く無いとは言えないのだ。恐らく妻は一切己の心を他人に知られないようにし、夫の看病をしたと思う。そして、夫もそんな妻に心から感謝はしていたと思う。
 その妻のような立場になって、一片たりとも病人を疎ましく思わないという人間は誰もいないだろう。それはどうしても持ってしまう感情だと思う。だから、たとえ疎ましいと思ってしまったとしても責められる事ではない。
 自殺である証拠を咄嗟に隠してしまった妻。
 その行為は確かに馬鹿げた事である。普通ならば理解に苦しむ事だろう。考えればわかることだ。第一に疑われるのはその妻だからだ。だが世間体を気にしてしまい隠してしまう。その後に何が起きるのかも考えずに短絡的にしてしまった行為。ほんの少しでも己の心に罪悪感があったとしたら、もしや誰かは気付いているかもしれない、己の心を、ほんの少しでも「疲れた」と思ったその気持ちを。その罪悪感の為に「自殺してしまうのも無理ない」と言われてしまったら?
 そんな妄想に取り付かれてしまう場合だってある。妻はもしかしたらそんな気持ちから無意識のうちに行動を起こしてしまったのかもしれない。
(憐れだわ。もちろん、これは私の想像。ニュースの主婦がそうであるとは限らないわけで。でも…)
 静子は思い起こした。父が死んでしまった時のことを。
 静子の父は何年か前に自宅の台所で首を吊って死んでしまった。当時、彼女の母親や弟たちは、父親の自殺を他人には隠した。「死に方が死に方だから」という理由で。
 静子は何か不快感のようなものをその時抱いた。母や弟が「馬鹿な事をしたものだ」と言った時も、彼女は正直微かな憤りを感じたものだった。
 何故そんな事を言う?
 父がそうせざるを得なかった気持ちを考えたら、そんな言葉は出てこないはずでは?
 だが、彼女はそのような事は言わなかった。勿論、母達が父を馬鹿にしてそう言っているのではないという事だってわかっていたから。そう言わなければ、遣り切れないのだとも。
 父は癌だった。手術も成功していたし、まだこれから治療をしていくという段階だった。治る見込みだって全く無かったわけじゃない。ただ金銭的な事で皆は不安に思っていた。保険に入っているわけでもなし、貯金があるでもなし、父が働いて細々と暮らしていたわけである。静子も少ないながらも援助はしていた。だが、それも微々たるものしかできず、これから中学・高校と進学していく息子にもお金がかかるということで、なかなか援助も難しいところだったのだ。
 父は静子の息子、つまり自分の孫を目に入れても痛くないほどにかわいがっていた。孫のためなら命さえも捨てると日頃から言っていたものだった。だからなのかどうかわからない。もしかしたら、闘病生活に絶望したのかもしれない。自殺の本当の理由は分からないが、だが、静子は信じたかった。彼は、自分の存在で、一番可愛がっていた孫に迷惑をかけたくないと思ったのではないかと。
 だがしかし、静子には何となく父親の気持ちがわるかような気がした。
 父は寡黙な人で、自分の気持ちはあまり他人に聞かせるということがなかった。内向的な性格というべきか。とはいえ、若い頃から体力には自信のあった人でもあり、癌になるまでは大きな病気をしたことはなかった。そして、人付き合いが苦手ではあったので、近所の催しにも仕事の都合でと断ってばかりで一度も地区の行事には出たことはなかった。
 静子は、そんな父親に気質が似てしまったらしく、彼女もまた人間関係を構築するのが苦手でもあった。結婚をし、それまでの仕事を辞めて家庭に入り、子供を産んでからも近所付きあいをするでもなく、家事をしたあとに子供の世話と息抜きの読書をするくらいで一日一日を過ごしていた。
 そんな毎日に、最初は何も思うところはなかった。だが、子供も大きくなり、小学生になって今はもう高学年。そうなると子供にも手がかからなくなり、少々時間も出来た。物思いに耽るような毎日になっていき、そうなるとマイナスな思考に囚われることにもなった。特に父が死んでからは。それもあり、静子は仕事に出るようになったのだ。フルタイムではないが、一日の僅かな時間を他人と接することは始めは苦痛ではあった。若い頃もそれほど対人関係が円滑にできるタイプではなかったのだが、長いこと他人と一緒に仕事をすることがなかったために、まだ今の時点ではなかなか仕事にも慣れなかった。ともすれば出社拒否をしてしまいそうにもなっていた。
「今日は実家に行くから仕事はお休みさせてもらったけれど…」
 また明日から慣れない仕事場に行かなければならない。静子は憂鬱だった。だが、そうであっても自分で選んだ道。負け犬のように辞めてしまいたくない。自分には父がついていてくれるのだから。
(私を導いてくれる、そんな父がついててくれるのだから)
「はあ…」
 そういった心の支えがあるとしても、それでも現実ではまだそこまで達観ができない彼女でもあった。

 陰鬱な気分で彼女は家を出、そしてバスに乗って、実家のある団地へと向かった。今は母は一人で団地住まいをしていた。今日は、足を痛めて入院してしまった母の頼みでベランダの花に水をやりにいくことになっていたのだ。
 バスの真ん中あたりの座席に座り、静子は窓から外を見た。流れ行く景色を何の感動もなく見詰めていたのだが、ふと、彼女は視線を上に向けた。空だった。夏のそれとは違う柔らかな青空だった。
(父が癌だと宣告されたのもこんな青空の日だった)
 あれは夏だった。息子が夏休みに入ってまもなくの頃、それまでにも息子はよく祖父である静子の父に連れられてデパートやら釣りやら祭やらと行動を共にしていたものだった。おかげで長期の休みでも、子供に煩わされることなく自分の時間を持てたものだった。だから、そろそろ仕事をしてもいいかなという気持ちも出てきていたものだった。
 そんな折に調子が悪いと言い出していた父。しかし、元来の病院嫌いが災いして、検査を受けるのを伸ばし伸ばししていたせいで発見が遅れた。胃を全摘出する手術をしたために、術後も随分と父は苦しんだものだった。それでも、父は病院ではなく実家に帰りたがっていたので、具合を見て退院して暫くは自宅療養をしていたのだ。だが、実家に戻っても症状はなかなかよくならなかった。もしかしたら転移という事も考えられるということで、再び入院して検査をすることが決まったのが手術した夏の翌年の秋。残暑もおさまり、これから穏やかな気候になるはずの秋の事だった。
(そして、父が死んだのもこんな青空の日だった)
 当時の静子は、自分の家族が自殺してしまうとは想像もしたことがなかった。ニュースではよく自殺を取り上げていたりして、特に中年の自殺が多いとか聞いてはいたが、まさか自分の親が自殺してしまうとは。
 だが、ふと思い出してみれば、静子の周りでも少ないながらも自殺してしまった人がいたのだ。子供の頃に仲が良かった近所の女の子ももっと若い頃に都会で自殺して亡くなっていた。好きだった芸能人も何人か自殺して死んでいたし。
 ああ、そうだよな。そんなに珍しい事ではないのだな。今でもこの空の下の何処かで誰かは似たような状況でいるのかもしれない。
 それが生活に困っての決断なのか、人生に挫折しての決断なのか、それともちょっとした出来心だったのか、または父のように病気を苦にしてだったのか、その理由は様々だろう。だが、今もどこかで誰かは自らの命を自らの手で閉じてしまっているのかもしれない。そして、家族を亡くした辛さを抱えてしまう人間を生み出し続ける。それは、私のような平凡な女にも訪れてしまう家族の死。生があれば死もある。それはいつでも隣り合わせ。自分自身もいつそうなってしまうかわからない。それだけ死とは珍しいことではないのだ。
(青い…)
 静子は心で呟いた。
 柔らかな空色が彼女の瞳に映し出されていた。
 青空。それはこれからの未来が明るいことを感じさせるものでもある。だが、時として、そういった明るい未来を感じさせるものが、実は虚しさや悲しみや慟哭を突きつけるものになる場合もある。人間の感受性とはそういった複雑なものなのだなと、彼女は思った。

 隣町に実家はあったので、バスに十分ほど乗っていれば辿り着けた。
 静子はバスから降り、バス停よりそれほど離れていない団地へ歩いていった。もうすぐで昼になろうとしていた。あたりを歩いている人はほとんどいなかった。時折り、道路を車が通り過ぎるくらいで、ここら辺りはあまり人通りが多いというわけではない。それだからか、母が入っている団地などにも年寄りを狙った悪質な訪問販売が訪れることもあり、この間も空き巣が団地に侵入して、たまたま通りかかった警官に取り押さえられるということもあった。
 静子も母親を心配して、出来る限り訪れるようにしていたが、最近では短い時間ではあったがパートに出てもいたので、なかなか実家に訪れることができないでいた。そんな矢先の母親の入院であった。だが、大した怪我ではないようなので、数日で退院してくるようだ。そんなわけで、この間も入院先に見舞いに行ったら、自分が退院する前に一度実家に寄ってみてベランダの花に水をやっておいてくれと頼まれたのだった。
 団地は箱型の普通の公営団地で、母の住んでいる部屋は四階建ての二階にあった。築三十年くらいだろうか。外観も随分と汚れてきたように見える。階段も段差が高く、足を痛めた母親には少しきつくなるかもしれない。まだ四階じゃないだけましかもしれないが。
 狭くて暗い階段をのぼり、二階の実家の部屋の前にやってきた。
 静子は鍵を取り出し、扉を開けた。
 ふわっと線香の香りがした。
 不思議なものだ。ここ数日は誰もいないので線香も焚いていなかったはずなのに、それでも線香の匂いがしている。
 靴を脱いでいるとき、玄関を入ってすぐ左横の部屋に目がいった。そこは四畳半の部屋で、今は箪笥やら何やらと置かれていて、押入れのような役割をしている部屋になっている。
 静子が息子を産んでしばらく過ごした部屋だった。あの頃も周りを箪笥が囲んだ狭い空間ではあったが、それでも布団をしいて親子で寝ることもできないわけではなかった。
 産後の一ヶ月を過ごした部屋は、あまり思い出したくないものではあったが、だが、あの頃は父も元気で、そして、息子が生まれたことを心から喜んでくれたものだった。兄に子供ができたときは、まだ父自身も若かったからだったかもしれないが、それほど興味を持たなかったらしい。だが、私の息子の時はとてもかわいがってくれた。もっとも、息子の子供より娘の子供の方がどうしてもかわいくなるものらしいので、それは当たり前のことだったのかもしれないが。
 誰もいない静まり返った屋内。
 仏壇に飾られた父の写真が静子を見詰めていた。
 父は写真嫌いで、死んだ時に遺影に使うような写真が見つからず苦労した。しかし、今飾られている写真は、親戚の娘の結婚式で撮った集合写真を父のところだけ引き伸ばしたものだった。祝いの時に映したものだったこともあり、父のいい表情が撮れていると思ったものだった。
「全く、ちゃんと日頃から写真も撮っておけばこんなに苦労することもなかったのに」
 そう母はぶつぶつ言っていたが、母もこの写真が見つかった時にはほっと胸を撫で下ろしたようだった。私に対しても「あんたも写真はちゃんと撮っておきなさいよ。それから、母さんの時はこの写真を使ってね」と、縁起でもないことをさらりと言ってのけた。静子はそんな母を見て、当分この人は長生きするだろうなあと思ったが、そのことは言わないでおいた。以前、長生きしてねと言ったら「長生きしていいことはない」と怒られたことがあったからだ。静子は、そんなことを思い出しながら線香は立てずに仏壇に手を合わせた。
 それから、その写真の父親に見守られ、彼女はベランダに出て花に水をやる。
 母が、あれやこれと花の名前を言っていたが、彼女は全く花に興味がないので結局右から左になってしまって覚えていない。見れば観葉植物らしき鉢や、植物音痴の彼女でもわかるサボテンなどもあったので、そういうものは恐らく水はやらなくていいいだろうと判断し、花の咲いているものにだけ如雨露で水をやっていく。
 その花は、紫の花と赤い花だった。
 一体何という花なのだろうと、花好きの母だとしたら、知らない花を見ればそう思っただろう。だが、静子はそういう気持ちも持たずに「これだけやれば十分か?」と思い、ベランダから台所に戻った。
 そして、ふっと見上げた場所は──

 そう。
 此処だった。
 父がぶら下がっていた場所。

 台所の天井にむき出しになった配水管に紐をかけ、父は首を吊って死んでいた。そして、それを見つけてしまったのが彼の孫、つまり静子の息子だったのだ。孫に迷惑をかけたくないと思っていたのか、それとも、死んだ自分を見つけて欲しいと思っていたのか、それはわからない。結局、死んだ彼を見つけたのは、一番かわいがっていた孫だった。
 息子はその瞬間何を思ったのだろう。
 時々その想いから抜けられなくなる事がある。
 確かに珍しい事ではないだろう。今でも何処かで起こっているかもしれない事。
 だがしかし、忘れない。真っ白な顔をし、まるで人形のような無表情さで「じいちゃんが死んでる」と言った息子の姿を。
 当時小学三年だった息子は、病気をしている祖父を時々学校帰りに訪ねていたらしい。自分で少ないお小遣いからバス代を出し、自分の顔を見せに行っていた。そうすれば祖父が元気になってくれると信じていたから。そして、その日もいつものようにニコニコ顔で祖父が迎えてくれると信じていた息子だったのだ。まさか、首吊りしている祖父見つけてしまうとは思わずに。
 息子はそれからまたバスに乗り、戻ってきたのだ。どんな気持ちで帰路に着いたのだろうか。それを思うと胸が痛い。
 静子は、その息子の言葉で慌てて駆けつけた。
 あの日は、母は朝から出かけていた。昔の友人が、近くの温泉に入って食事でもして看病疲れを取ってほしいという気持ちから誘ってくれていたのだ。そんな時に起きた出来事である。恐らく母も後ろめたい気持ちを抱いただろう。もし、外出してなければ、あんなことは起きなかっただろうに、と。だが、全く父から目を離さずにいるわけにはいかなかったと思う。けれど、それは起きてしまった。どうしようもない事実だった。
 父は、まるで瓢箪のようにぶら下がっていた。何かで聞いたことがあるが、首吊りを「奇妙な果実」といったそうだ。まさに、物体と成り果てた身体は、まるで果実がぶら下がっているかのような感じだった。
(息子も今は六年生)
 時々「お母さん、大好き」と抱き付いてくる息子を抱きしめつつ、彼女は彼の後ろに何時も己の父の影を感じている。
 来年は息子も中学だ。来年になれば、もう抱き付いてくる事はないのだろうなと少し淋しく感じながらも、静子はそれまでは我が子を強く抱いてやろうと思った。
 静子は台所の窓から見える青空を見やった。
 それから仏壇の前に戻り、父の写真を見詰めながら静子は父に語りかけるように喋りだした。
「お父さん、あの頃は自分を責めたものだったわ」
 静子は父が死んでからしばらくの自分を思い出した。
 あの頃は、どうして父が自ら死んでしまわないといけないのか、理由を探さずにはいられなかった。
 自分の時間がほしいからと、父にいつも息子を押し付けていたように思ってもいたので、その罪悪感から、もしかしたら父が死んだのは私のせいではないかと思い込んだものだった。
 それを親しい友人に話したりしたのだが、それもまた誰かに「違うよ。あなたのせいじゃないよ」とそう言ってもらいたかっただけなのかもしれない。現に友人たちは「あなたのせいじゃないよ。しかたなかったんだよ。そんなに自分を責めないで」と言ってくれた。
 けれど、そう言われるほど、どうやら自分の心は壊れていっていたように思う。
 自分では気が付いていなかったが、あれからしばらくして、体調が崩れ、それを検査してもらってもどこにも異常がなく、だけど、具合はどんどん悪くなり、吐き気が止まらず食事もできない状態にもなっていったのだ。
 だが、後にどうにもこうにも原因がつかめないということで、最後の頼みの綱である心療内科にかかったら、精神的なものが作用しての体調の崩れであると診断された。症状は軽かったので、一時的なものとして、投薬をもらってしばらくしたら完全に治ったが。
 しかし、実は医師にも話さなかったことがあった。
 実は彼女は自殺の一歩手前までいっていたのだ。
 こんな苦しい思いをするならいっそ死んでしまえば楽になるのにと、そう思い込んで、病院からの帰り、やってくる電車を待つプラットホームでふらふらと飛び込みかけたことがあったのだ。
 その時、誰かの声がした、ような気がした。
 ちゃんとした声じゃなかった。誰の声だったのか、女なのか男なのかもわからなかった。だが、その声にはっとした彼女は、自分の視線の先に名も知らぬ白い花を見たのだった。
 その花に、まだあなたは死ぬ時ではないよと、まるでそんなふうに言われているような気がした。その瞬間「ああ、そうだ。私には息子がいる。息子や夫が私を待っているんだ」と、強くそう思った。
「そうね。まるで誰かに、何者かに導かれているような、そんな気がしたものだったわ」
 静子はそう呟いて、写真の中の父親に微笑んでみせた。
 自分が電車に飛び込もうとしていたその日も空は青かった。まだ春になったばかりの三月だった。あの時の白い花が何という花であったのか、まるで命の恩人であるかのような花であったのに、彼女は相変わらず花には興味が持てず、調べたことはなかった。
「でもね、お父さん。私、あの時、白い花を見た瞬間、なぜか聴いたこともない音楽を聴いたような気がするの。そのメロディはとても青空に似合う、晴れ晴れとした曲で、どこまでも透明な風が吹いていくような清々しい曲だった。まるで、生きなさい、生きていきなさいって言われているような、そんな力を与えてくれるようなメロディだったわ」
 そして、彼女は、その時に聴いたメロディをふんふんとハミングしてみせた。
 静まり返った室内に響く彼女のハミングは、まるで空間に溶け込むかのように流れていった。
「あ…」
 その彼女のハミングが突然止んだ。
 彼女の見ていた写真の父の表情が変化したように思えたからだ。写真の顔は微かに微笑んでいる感じではあったのだが、その微笑がさらに深まったように彼女には思えた。
 彼女は思った。
 きっと、一人一人、誰にでもその人を導いてくれるものがあるんだと。
 それは人なのか自然なのか物体なのかわからないが、それを感じ取れる者だけが、この世界を強く生きていけるのだろうと。
 父にはそれを感じ取ることができなかったのだろうか。いや、でも、父の場合は特殊だった。病気というものは、それが重ければ重いほど何かを感じ取る力は失われていくのだろう。だから、軽かった私は助かったのかもしれない。私も重い精神病だったら、助かったかどうかはわからない。もしかしたら、父が見守ってくれていたのかもしれない。自分のようにはなるな、と。
 静子はそれを信じたかった。心から信じたかった。きっと、父親は自分を恨んでいたわけではない、と。

 静子は部屋を出て鍵をかけた。階段を降り、外に出る。そして、眩しそうに空を見上げた。いい天気だった。青空がどこまでも広がっていた。ちょうど飛行機雲が通ったようで、細くて白い雲の軌跡が伸びているのも印象的だった。まるで、その軌跡の先には希望が待っているかのように。
 すでに夏は随分と過ぎた十月の空だったが、暑いくらいの天気だった。
 父が逝ってしまった日も、こんな天気の日だった。それは、晴れた日のことだった。
 こんな真っ青な秋晴れの日だった。

音楽提供/煉獄庭園「導きの先にあるもの」

画像提供/空色地図 -sorairo no chizu-

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