卒業式で泣いたことがない。 小学校、中学校、高校と当たり前に卒業式を経験していき、短大の時も卒業式では泣かなかった。それぞれの卒業式当日は、むしろせいせいしていた。私は学校というものが嫌いだったから。 別に当時の私が「学校は嫌いだ」と思っていたわけじゃない。学校は好きだと思い込んでいたことはよく覚えている。それでも人並みに日曜祭日で学校が休みの時は嬉しかった。ただ、会いたいなあという人がいたんで、休みだとその人に会えなくてつまんないなあとは思っていたが。 そんなわけで卒業式で感慨深く何かを思うってことはないのだが、人生の節目節目でもある卒業っていうことに関しては、やはり私もそれなりに物思うことはある。だって、私は明日この生まれ育った家を出て愛する人のもとに嫁ぐのだから。 私は春香二十六歳。恋人の礼二とこの度めでたくゴールインすることとなった。明日は結婚式という前夜、私は二十六年間過ごしてきた自分の部屋で物思いにふけっていた。別にマリッジブルーになっていたわけじゃない。私もそれなりに夢見る乙女ということもあり、この部屋で過ごしてきた今までを思い返してみたいなあと思っただけだ。 六畳の部屋。窓は南側と東側についていて、ベッドはその東側の窓の下に置かれてある。学生時代に使っていた勉強机はベッドと対極の位置に置かれてあり、その中間地点に小さなテーブルがあった。南側の窓と対極の北側の壁には本棚があり、その本棚の前に小さな十四型のテレビが置いてある。本棚の本はすでに新居に運んでしまっていたので今は空っぽだ。でも、テレビはそのまま置いてある。新居には持っていかない。新居では大型のテレビが私たちを待っているから。 「これ、私が働き出して初めてもらったお給料で買ったんだよね」 私は、その白くて小さなテレビを見詰めた。短大を卒業して就職して、初めてのお給料をもらった時、両親に何か買ってあげようかなあと思ったら、母が「お母さんたちのことはいいから、自分で欲しいものを何か買いなさい」と言ってくれたんだ。そして、私は自分の部屋にどうしてもテレビが欲しかったから、この白くてかわいいテレビを買った。学校に通っていた時代から、友達みんなは自分の部屋にテレビを買ってもらっていたのに、私だけは買ってもらえなかった。当時、両親はやっと新築の家を建てた頃で、家財道具にあまり予算を出せなかったんだよね。当然、私や弟の部屋にも家財道具も最低限のベッドくらいしか置けなかった。弟の部屋にはタンスはなかったけど、私は母が嫁入り道具として持ってきていたというタンスが置いてあるだけで、最初は勉強机もなかった。それ以前に姉弟で使っていた勉強机は弟の部屋に置くことにして、私は小さなテーブルを買ってもらって、それを勉強机の代わりにしていた。それでも時間が経つにつれ、少しづつ色々なものを購入していくことはできた。本棚とか、そして念願の勉強机とか。だけど、テレビだけはずっと買えないままだった。それはまあ、リビングに一台あったわけだから、わざわざ買わなくてもよかったんだけど。 短大を卒業して就職して、初めての給料で白いテレビを買って、その頃だったかな、同窓会で中学の同級生の礼二と再会して意気投合し、それから付き合うようになった。彼は私との結婚を考えてくれていたけれど、彼の家庭事情があまりよくないっていうこともあり、私の父親は付き合いに反対していた。でも母は違っていた。 「お母さんはあんたが好きな相手なら誰と結婚してもいいとは思ってるんだけどね」 母はそう言った。 だが、父は愛する娘に苦労をさせたくないと思っていて、結婚相手はある程度裕福な家庭の息子をと考えていたらしい。短大を卒業する頃に成人式で撮影した写真を見合い写真として、知り合いの誰某さんに預けたとか、そんなことを母は言っていた。なるべく家を継がなくていいような次男坊を紹介してくれるよう頼んでいたそうだ。そんな父親の気持ちなど考えずに、私は結婚に対しては何も考えてなかった。それなりに結婚への願望はあったが、自分は家と結婚するわけじゃない、好きな相手と結婚するんであって、この人となら一緒になりたいという相手となら幸せにやっていけるのだと本気で信じていたのだ。 私がここまでそんなふうに誰かと一緒に暮らしていけるのだ、好きな人となら幸せに生きていけるのだと思うようになったのも、とあることがあったからだとも言える。 私はとにかく対人恐怖症気味なところがあって、誰かが傍にいるのがとても苦手だったのだ。とくに男だろうが女だろうが二人きりで同じ空間にいるというのが駄目で、一人じゃないと緊張してしまって神経がボロボロになってしまうところがあったからだ。だから、短大に入った時も、自宅から少し離れた場所にあったために一年生は必ず寮に入るように定められていたのを何とか自宅から通うことはできないものかと訴えたが、それは聞き遂げられなかった。 私は寮で一年間過ごすこととなった。 だが、その寮での一年間は、私の中の恐怖症を克服する期間となったことは確かだ。他人と同室で寝起きをし、他人と食事をし、他人と風呂に入り、他人と朝のトイレの争奪戦をし、何もかもが初めての経験で、最初は戸惑ったりショックを受けたりしたものだったけど、そのおかげで他人と一緒に暮らすことが苦痛じゃなくなった。あの寮生活での一年間は、私にとって人間的な成長をするきっかけとなった一年となったものだった。 そして、短大を卒業するその少し前、就職も決まり、あとは卒業式を待つばかりとなった三月の最初頃。その寮生活で一番仲良くなった亜希子と紫乃の三人で卒業旅行に行ったのだった。場所は尾道だった。 「三月にもなるのにまだ雪がちらついていたよなあ」 私はあの卒業旅行の日のことを思い出していた。それまでに中学の頃に修学旅行で奈良や京都に行ったことはあったが、旅行なんてそれくらいで家族とどこか遠くに旅行するなど経験はなかった私だ。初めて友達だけで旅行することになり、私は有頂天になっていた。友人宅にも泊まりにいったこともなかったのだ。だから、短大で寮生活をするのにも最初は不安や戸惑いがあったことは想像に難くないわけで、そんなふうに友人と旅行するということも寮生活をしなかったら考えもしなかったかもしれない。 私はきれいに片付けられた学習机に座って、左側の壁にかけられたカレンダーを眺めた。それは今年のカレンダーで十月十七日に丸がつけられていた。それは明日だ。結婚式の日だ。尾道へと旅行したのはもっとずっと昔のことではある。私は思い出していた。あの旅行を。 |