僕の憧れ
僕の太陽
僕の全て
僕にとって君は世界だ
そして
世界を覆い尽くすほどの大木
世界其の物である樹木
世界樹のような存在
それが君だ
君は僕の物
僕等は何時か一つになる
それは約束された運命
僕の耳には君の歌声が
世界樹が奏でる音色とともに
君の歌声が聴こえる
運命の音色
僕等の歌だ
僕は君の物
君は僕の物
だから君は
誰にも渡さない───
彼女にメールを出してから随分と経つ。
彼女は知らなかったと思うが、僕はずっと彼女を見詰め続けてきた。
初めて大手の掲示板に彼女が現れ、彼女は自分でトピックスを立て、毎日日記を付けるように文章を書いていた。
僕はずっと見ていたよ。
天真爛漫な文章、理不尽な事に怒りを感じそれをそのまま書きなぐったり、素直な詩、かわいらしい少女らしい言葉の数々。
たとえ、彼女が僕よりも何歳も年上であったとしても、そんな事は関係なかった。
人は文章だけで恋をする人間を愚かだと言う。
そんなもので相手の気持ちが本当に理解できるのかと。
もちろん、完全に理解できるなどと思っちゃいない。
だが、逢って顔を合わせ、目と目を目詰めながら言葉を交わしたとしても、それでも相手を理解できるとは限らない。
だったら、たとえ逢わなくても文章だけの繋がりでも相手を理解することはできるはずだ。
少なくとも僕は信じている。理解できると。
最初は僕も自分が彼女に恋しているということは黙っていた。
彼女が辛い生活をしていることはわかっていたので、僕の気持ちをぶつけることで彼女に更に辛い思いを抱かせるのは嫌だったから。
僕は彼女に心安らかに暮らして欲しいと思っていたから。
だが、だんだんと僕は自分の想いを抑えることが苦痛になってきた。
メールを送るようになってからすでに3年が過ぎようとしている。
近頃は、少しづつ彼女に対して自分の抱いている気持ちを伝えるようになってきたのだ。
初めは彼女も僕が冗談を言っているのだろうと思っていたらしい。
いや、たぶん今でもそうだと思う。
僕が彼女に逢おうと言わないから。
「本当に相手を好きだと思ったら、手が繋ぎたい、抱き合いたいって思うもんだって友達が言ってたよ?」
そういうことを彼女が言っていた。
そんなこと当たり前だ。
君に言われなくても僕が一番それはわかっている。
それが出来ればこんなに悩まないよ。
僕がどのような存在でも
君は僕を受け入れてくれるか?───
僕が抱いているその想い。
それが君に伝われば。
伝わって欲しいと思いつつ、それが本当に叶ってしまったら……
答えの出ないメビウスの輪に僕は捕えられている。
いつか君に僕の秘密を知られてしまったら。
それが怖い。
それからの僕等の関係がどうなるか、それが怖い。
出来れば今の関係がずっと続いて欲しい
出来れば君を僕の物にしてしまいたい
相反する想いで激しく揺れ動く。
最近では特にそうだ。
だが、物事にはいつか必ず終わりがやってくる。
僕等の間にもその時は容赦なく。
人が生きていけば、必ず死という終息がやってくるのと同じで。
それは彼女からの一通のメールから始まった。
僕等の間に終末の鐘が鳴り響く。
だが、それは運命の時を告げる鐘でもある───
「私、離婚することにしたの」
彼女は結婚していた。
もちろん相手は僕ではない。
彼女は勤めていた会社で見初められ、当時好きな男もいなかったということで、何となく流されるまま結婚をしたということだった。
ほどなくして子供も生まれ、仕事を辞めて専業主婦をしていたのだが、元々彼女は子供好きという性格ではなかった。加えて家事も苦手であった。
子育てのストレス、家事疲れで精神的に追い詰められてしまったときにパソコンを購入することになり、それでネットに顔を出すようになった。
リアルでの彼女は引っ込み思案で、友達もいなかった。
夫は仕事第一の男で、彼女の悩みには無頓着。
だから、自分の悩みなどを相談する相手がいなかった彼女は、通い始めた掲示板で自分の想いや悩みを綴り始めたのだ。
それに対して、反応を示して慰めてくれる同じような境遇の者たち。
そうやって彼女はだんだんと掲示板にのめりこんでいった。
そこへ僕が接触を持った。
彼女は仲良くしていたある人と意見の相違で仲違いをしたところだったのだ。
僕は我慢できなくなり声をかけた。
「慰めてあげましょうか?」と。
それから始まった僕等の関係。
僕は彼女の話し相手をするようになった。
掲示板での会話とメールのやり取りで、僕等は親しくなっていった。
たいがいはそうやって親しくなっていくと、チャットなどでリアルタイムに話をしたり、電話で直接話をしたりし、果ては逢うことにもなる場合があるのだが、僕はそれが出来ない理由があった。
幸いにも彼女はリアルで文字会話をしたり、電話で話すということが苦手ということで、僕が誘わなくても彼女から誘ってくるということはなかった。
「貴方の言葉はとても好き」
「僕よりも君の言葉の方がいいよ」
「私はだめ。だらだらと長すぎるんだもん」
「長くてもいいよ」
「貴方みたいに短文でビシッとした文章が書きたいなあ」
「それは無い物ねだりだよ」
「なんかむかつくー」
「そんな言葉使わないほうがいいよ」
時々こんな感じで掲示板で文字交換したこともあった。
もちろんリアルにではない。
昼間に彼女が掲示板に言葉を残し、僕が夜に書くといった感じだったが。
「時々ね、貴方がとても身近に感じることがあるの」
「僕は何時でも君の傍に」
「あのね。怒らないでね。私、貴方がもしかしたら主人じゃないかと思ったこともあったの。だってあまりにも私のことや気持ちを察してくれるから。もしかして傍で見てるのかもって思ったんだもん」
あんな男と一緒にするなと、正直思ったよ。
僕は愛する女を淋しく放っておくなんてことは絶対にしない。
仕事は大事かもしれない。
だが、仕事よりも第一に考えなくちゃならないのは彼女のことだ。
彼女がどれほど疲れているのか、慣れない育児と家事で心を病んでいるということも知らず、なぜ仕事にそこまで没頭できるのか。
何のための仕事だ。
仕事では彼女を幸せにすることはできない。
金の問題じゃないんだよ。
何故それがわからないのだ。
僕を奴と一緒にするな。
僕はあんな男にだけはなりたくない。
僕は……僕は……女を不幸にする男には絶対になりたくない。
「何も話してくれないのね」
「何も聞かないでくれ」
「うん、わかった。ごめんね。もう聞かないから」
女を不幸にしたくないと思っている僕だ。
だが、僕も彼女に不満を感じさせている。
僕がそれとなく彼女に自分の気持ちを伝える少し前から、彼女は僕の住んでいる場所とか年齢を聞くようになってきた。
僕はそれについて何も答えなかった。
それだけでなく、僕は自分の考えというものをあまり聞かせるということをしなかった。
彼女が何かを言い、それに対して「そうだね」とか「僕はそうは思わないな」と返すくらいで、積極的に自分からは答えることはしない。
それとは逆に、彼女は何でも話してくる。
それこそ普通の人なら秘密にしておきたいことまでも。
だが、彼女は今まで話せない人だったのだ。
その反動が今出てきているのだと思う。
話ベタだと言っていた。
文章ではそんな片鱗はまったく見られないのに。
だが、たいがいの人間はそんなものだと思う。
言えない言葉を文字に綴る。
それを誰かに聞いてもらいたい。
皆心の底では聞いてもらいたいと思っているのだ。
意見が欲しいわけじゃない。
感想が欲しいというわけでもない。
ただ、じっと静かに聞いてくれるだけでいい。
そういうものなのだ。
だから、僕は彼女の話したいことを聞いてあげている。
それに彼女の話は面白い。
だから、彼女を慕う人もネット上にたくさんいるのだ。
「でもね。好きって言われても私は信じられないの。自分に自信が持てないの。なんでかな」
彼女はそう言った。
自分に自信が持てない。
他人が認めてくれてもそれを信じる事ができない。
それは彼女が幼い頃から親に否定され続けてきたからだ。
どんなことをしても、彼女は誉められる事がなかった。
何をしても怒られた。
これが悪い事に、彼女ははしっこい子供ではなかったのだ。
母親はきびきびとした性格で、彼女が自分の思い通りに動かないことにいつもイライラしていた。
よって彼女はいつも怒鳴られていたのだ。
親に否定され続けると、子供は自分の存在を信じることができなくなるものだ。
生きていていいのだろうか。
こんな自分など生きていてはいけないのではないかと。
何故わからないのだ。
怒る事が悪いわけではない。
言葉が大切なわけじゃない。
不器用でもいい。
ただ抱き締めるだけでいいのだ。
しっかり抱き締めるだけで気持ちは通じる。
それなのに───
彼女は母親には言葉の暴力を、そして父親からは身体に暴力を振るわれていた。
彼女の父親はアル中で、飲んでは彼女を殴ったりしたのだ。
かわいそうな君。
僕が守ってあげるよ。
もう君に悲しい想いはさせないよ。
僕が代わりに痛みや辛い事を背負ってあげよう。
君は僕のユグドラシルなのだから。
「ユグドラシル?」
「そうだよ。世界の象徴である世界樹の事だ。天まで伸びるほどの大木。枝葉は全世界に広がり、根は三本。一本は神の国アスガルド、人間の世界ミッドガルドへ、一本は死者の国であるニフルヘイムへ、最後の一本は巨人の国ヨトゥンヘイムに達するという」
「その世界樹が?」
「ユグドラシルには様々な生物が集い生きている。世界の象徴であるからユグドラシルが死に絶えれば生き物も死んでしまう。無くてはならない存在なのだ。君のように」
「私の?」
そう。
君は僕のユグドラシル。
北欧神話で詠われるユグドラシルの二番目の根が伸びるウルドの泉には三人の乙女たちがいて、泉の水を汲んではユグドラシルの根にかけているのだ。
木が枯れないように。
その運命の乙女たちをノルンという。
僕はそのノルンと同じような存在。
君を生かすために存在する。
そして、ノルンもまた世界樹に生かされている。
と同時に、僕の心は霧と氷と闇の世界であるニフルヘイムに在る。
ずっとずっと僕は閉じ込められていて、いつか救い上げられる時を待っていた。
何時も見詰めていたよ
君の事を見詰めていたよ
君が悲しみに暮れる時も
君が辛さに泣いている時も
僕は何時も傍にいたよ
見守っていたよ
僕の太陽
僕の世界樹
僕が生き続ける源
だが───
「私、離婚することにしたの」
彼女の放った一言で、僕たちの蜜月は終わりを告げる。
何時か訪れるだろうと思っていた運命の時が。
「貴方に逢いたい」
「貴方に抱き締められたい」
「貴方を感じたい」
「貴方の微笑を見たい」
「貴方を愛しているの」
僕は───
僕は───
僕がどのような存在でも
君は僕を受け入れてくれるか?───
僕も出来れば君を抱き締めたい。
僕も君を愛しているから。
いっそのこと君を僕の物にしてしまおうか。
僕等は一つになるんだ。
だが、そうなってしまったら。
僕等は果たしてどちらが幸せになるだろう。
そして、僕と君とどちらが───
「貴方は私を愛していると言ったわ。あれは嘘だったの?」
「嘘じゃないよ」
「私は離婚するわ。夫とも話はついたの。子供は夫が引き取ると言った。もう私を縛る物はない。貴方の気持ちにちゃんと応えることができる」
「君は僕がどんな人間でも愛せるのか? 本当に?」
「何を心配しているの? 貴方が例えどんな姿をしていようとも、そんなことは関係ないわ」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
君は何もわかっていない。
君は愛に餓えた人だ。
幼い頃から親に否定され続け、一番愛して欲しい人から愛されず、そのために自身を愛することができなくなってしまった。
どんなに愛しても応えてくれない人を愛し、やはり自分は愛される人間ではないのだと思いつつ生きてきた。
いつしかそれは君を縛り付け、本当に愛してくれる人までも信じられなくなっていった。
人は自分自身を愛せないと、他人を本当の意味で愛する事も信じる事もできなくなるものだ。
今の君もそう。
僕の事を君は疑っている。
僕が君に素性を一切話さないからだ。
君は僕を試していた。
君が僕に何でも包み隠さず話すのはそのためだ。
君は相手に自分の良い所だけでなく悪い所までも全てを話す事で、自分を受け入れてくれるかどうか試していたのだ。
そんな事しなくても、何も話さなくても、受け入れてくれる人はいるというのに。
それが信じられない憐れな君。
「貴方を信じているわ。今度こそ信じれるって確信したの。私を愛しているというのなら、私に逢って私を受け入れて。貴方と共に暮らしたい」
「本当に? 何が待っていても知らないよ?」
「覚悟の上だわ」
本当にそうだろうか?
君はこの現実に耐えられるだろうか?
僕は、そして君は果たして───
「わかった。それなら明日メールを送っておく。それに僕の素性を書いておくから。それを読んでみてくれ」
運命の音色が流れ出す。
僕等を引きずり込むユグドラシルの奏でる音色が。
思い出すよ。
君が泣いてる姿。
怒っている姿。
笑っている姿。
愛しくて愛しくてたまらなくて。
僕は君を抱き締めたくてしかたなかった。
友達の言動で泣いては荒れ、取り返しのつかない喧嘩をしてしまい、ますます荒れたこともあったね。
またある時は、どんな愚かな君でも受け入れると言ってくれた人たちにさめざめと涙を流し、感動に打ち震えていたこともあった。
楽しいことを気持ちのいい人たちと一緒に話して、弾けるような笑い声を上げていたこともある。
何時だったか、悪意のメールが送られてきたこともあった。君はそれに対して憤りを僕にぶつけてきたこともあったね。
君は知らないだろうが、僕はちゃんと相手に報復しておいたよ。
あんなに続いた悪意のメールがピタリと止んで、君は不思議がっていたが。
僕は君を悲しませるものには容赦しない。
絶対に許さない。
僕は君のために悪魔にだって変わるよ。
僕は君の微笑を守るためにピエロにだってなるさ。
全ては君を守るため。
全ては君を生かすため。
だって君は僕の物だもの。
だって君は───
遠くで聴こえる。
僕の耳に微かに聞こえるその音色は。
遠い遠い世界から聴こえてくる運命の音色。
ユグドラシルが奏でる運命の音楽。
僕と君を怒涛の彼方へと運ぶその音色。
さあ、君よ。
僕等の運命の時がやってきたよ。
「君がこのメールを読んで本当に信じてくれるかどうかはわからない。だが気をしっかり持って読んでくれ」
君の心の衝撃が僕にも流れ込んでいるよ。
君が痛みを感じれば僕も感じ、君が喜びを感じれば僕も感じ、君が憤りを感じれば僕も感じるのだ。
そう、君はまだ半信半疑。
普通の人は信じられないだろう。
僕等が本当は一人の人間だってことを。
「どういうこと?」
「そういうことだよ」
「だって、そんなこと信じられるわけないわ」
「それならこの状況をどう説明する?」
「……………」
黙ってしまった君。
そうだよね。
今の僕等の状況を誰かが見ていたら奇異に映っただろうね。
僕等は初めてリアルに話している。
絶対に僕等には出来なかったはずの事を。
君は鏡に映った君に対して話し掛けているのだ。
そして、僕の言葉は君が無意識のうちに君の声で話しているのだ。
君の意思ではなく、僕の意思で。
僕はメールにこう書いた。
夜十二時になったら鏡の前に座りたまえと。
僕等は初めて話を交わす事になったのだ。
今夜も君の旦那さんは泊まりこみの仕事だった。
それを狙って仕向けたんだが。
僕はゆっくりと話し始める。
「君はね、多重人格者なのだよ」
彼女のように幼少の頃に酷い虐待を受けた者の中には、こんなふうに多重人格を持つ人間も出てくる。
痛い事、苦しい事を幼い心では処理仕切れず、それを代わって耐えてくれる人格を無意識のうちに作り出してしまうのだ。
一つ一つの感情を一つ一つの人格が請け負う。
常に攻撃的な人格。
常に怯えている人格。
常に冷静沈着な人格。
常に楽しく奔放な人格。
常に悲観的な人格。
そんなふうに多岐に渡って人格が分かれてしまうのだ。
そして、僕がそれらの人格の中では一番冷静であり、且つ全ての人格を統括していたのだ。
君を守るために。
僕は僕の人格が出ている時に様々な多重人格の本を読んだが、僕のような人格はいなかったと思う。恐らく。
何故なら、僕はオリジナルである君を一人の男として愛してしまったからだ。
僕は一体どういう存在なのだ。
それを何時も考えていた。
君が君の心の中で眠りについてしまった夜、僕は毎晩考えていた。
何時の頃からだったのだろう。
君を愛するようになったのは。
ごく最近だったと思う。
昔は君を愛しいとは思っていたが、それは肉親に対する気持ちだったような気がする。
この小さくて哀れな子供を救ってあげなくてはと、そう思っていた。
だから、自傷傾向のある人格を押さえつけ、君が知らないうちに自傷する事を止めていた事もあった。
君がパソコンを始めるようになってからは、君の中の何人もの人格が君宛にメールを送り始めた事もあった。
もちろん中には攻撃的な人格もいて、それで一時期君は悪意のメールに悩まされていた事もあったよね。
あの人格も押さえ込んだよ。
中には君を操り、自暴自棄にさせたり、悲観的な考えばかりさせようとしたり、いろいろな悪い影響を与える人格もいたから、それらの人格も押し込めてきた。
もちろん、君に良い影響を与える人格もいたが、僕は「あの時」から君を僕だけの物にしたいと思うようになったために、全ての人格を押し込めてしまう事にしたんだ。
「あの時?」
「そう、あの時だよ」
「?」
「君は覚えているかな。かりんとうとこんぺいとうの話を」
「あ……」
そう。
それは人が聞いたら大した事のない他愛無い笑い話だっただろう。
だが、僕にとっては、思わず君に接触を持ってしまうきっかけになった出来事だった。
君が掲示板に書いた事。
かりんとうとこんぺいとうを思い違いしていたというあの書き込み。
何故だろうね。
僕はあれを見たとたん、肉親としてではなく、一人の人間として君を恋していると気付いたんだ。
可愛いと。
なんてこの人は可愛いんだと。
「かりんとうって淡いピンクや水色や黄色がカワイイけれど、お星様のようにイガイガがついて何だか誰も寄せつけないって感じなのに、食べてみるととっても甘い…それが何だか自分に似てるようで」
「かりんとうだと思ってたものが実はこんぺいとうであることに気づきました(笑)」
「こんぺいとう…たぶんこの響きがイヤだったのかもしれない。かりんとう…やっぱりこの響きがスキだなぁ」
君はそう書いていた。
「だって、そんな……たったあれだけのことで」
「そういう始まりの恋だってあると思うよ」
それから僕の甘くて辛い日々が始まった。
まるで「かりんとう」という名の「こんぺいとう」のような日々が。
恋しい君を守りたいと思うと同時に、君をこの手で抱き締めたいと思うようになり、僕は何度自分のこの存在を呪った事か。
僕が普通の人間だったら。
たとえ女であってもいい。
たとえ血が繋がっていてもいい。
僕が現実に存在する人間であったなら。
僕が生身の人間だったらと。
「じゃあ……じゃあ、どうして…どうして私に逢うと言ったの。私たち抱き合う事も出来ないじゃないの」
「僕はね、本当の意味で君と一緒になろうと決心したんだよ」
「え……?」
そう。
僕は決心したんだ。
君と一緒になるという事を。
君と一つになるという事を。
「それって……まさか……私になるってこと……?」
そうだね。
僕は君になりたいと思った事もある。
君のように人間として暮らしたいと思った事も。
だが、僕という存在が出来たのも、君がいたから。
君という存在がいなければ、僕という存在も生まれてこなかった。
僕は君を生かすために存在している。
君になりたいと思ったよ、確かにね。
だが、僕は君を本当に心から愛しているんだ。
僕は君のためなら命を捨ててもいいとまでも……僕には命はないけれどね。
「そんな……まさか……いなくなっちゃうってことなの?」
そうだね。
いなくなるっていうことになるかな。
だって、僕は心だけの存在だから。
僕という人間はいないのだから。
「そんな……そんなの……嫌だわ……」
君はもう僕がいなくても生きていけるよ。
僕と過ごした三年は無駄ではなかった。
君はよく成長した。
大丈夫だよ、ちゃんとしっかり生きていけるよ。
「私が消える。私が消えるから、貴方に私の身体をあげるから、お願い消えないで」
何を馬鹿なことを。
僕の気持ちも考えてくれよ。
僕は君を生かすためにだけ存在していたんだ。
僕の決心は変わらないよ。
君は僕の分まで強く生きてくれ。
お願いだ。
僕を本当に愛していると今でも思っていてくれるなら、強く強く生きてくれ。
僕の憧れ
僕の太陽
僕の全て
君は僕にとっての世界だ
君は僕の物
そして僕は君の物
「消えないで──────!」
君の叫び声が聞こえる。
遠くで聞こえる。
僕の耳には君の声に重なってあの音色が聞こえているんだ。
ユグドラシルの音色が。
僕の愛する君。
僕を生み出してくれた君。
喜びと悲しみと怒りと涙と愛を僕に教えてくれた。
僕は消える。
君の魂の奥深くに僕は消えていく。
僕は幸せだったと思うよ。
何故なら、君を愛するが故に僕は己の存在を認識し、君を通して世界を感知したのだから。
だが、僕という存在は一体何だったんだろう。
僕というこの意識は一体どんな意味があって生まれたんだろう。
わかっている。
僕は君を愛するために生まれたんだ。
自分自身である君を愛するために。
誰にでもきっと「僕」という存在はあるのだ。
自分を愛する事の出来ない人間の心に「僕」は必ず存在している。
ほんのちょっとだけ目を向けて。
自分自身の内を覗いて見ればいい。
必ず「僕」がいるから。
その「僕」は「君」を愛しているよ。
愛しているんだよ。
誰よりも強く愛しているんだよ。
愛している。
愛しているよ───
君よ
愛する君よ
僕はユグドラシルの根元で待っている
僕は君だけを待っている
何時か此処に来てくれ
僕は其れまでずっと眠って待っている
ユグドラシルの奏でる運命という名の音楽を聴きながら
僕の憧れ
僕の太陽
僕の全て
愛している
君を未来永劫愛している
常盤の彼方のこの場所で
何時までも待っている
++++ 遊樹美夜(音羽雪)作曲/「ユグドラシルの運命」に捧げる ++++
【2003/7/21記】