男になりたかった。
男になって、あいつらの仲間になりたかった。
なんであたしは男に生まれなかったんだろう。
男だったら───
『ワラワセルナ!』
あたしは黒板に書かれたその言葉を見つめた。
黒板の右端には日付と日直の名前が。
その下に小さくその言葉は書かれている。
あたしの席は廊下より二番目一番前列。
先生は黒板に例題を書いている。
あの小さな文字には気づいていないみたい。
「……………」
あたしの席より左側、隣の隣にアイツはいる。
そっちを横目でチラリと見たけれど、居眠りしてるのかうつむき加減。
『アイツの心がわかったよ!
人のキモチなんか考えてない。
黒板に書かれてる文字見た?
あれは絶対アイツが書いたんだよ。
あたしへの当てつけなんだー』
あたしは後ろの席のルミちゃんに紙切れを渡した。
授業中のこと。
それはあたしたちにとっていつものことだ。
するとすぐに返事がくる。
『ワラワセルナ!って書いてあるけど
うちら、笑わせたっけ?
書くならもっと別の言葉書けばいいのに。
笑わせてないもーん。
あの言葉って、
ここらへんのうちらに対してなんじゃない?
でもさ。
やっぱり好きなんでしょ? ニタリ』
もー、また茶化すんだから。
『違うよ。
あたしがね。あそこに、
「男に生まれてあの人たちの仲間になりたかった」
そう書いたんだ。
朝来たら、それが消されてて、
あれが書かれてあった。
あいつ以外それ書くヤツいない。
だって、アイツより早く学校くるのって
誰もいないもん』
そう。
アイツはなんでかいっつも朝一で学校に来てる。
それは前からそうだった。
あたしたちがまだ隣の席同士で仲良くしてたときからそうだった。
アイツは早く来て本を読んでた。
最初スゲー違和感あったんだ。
真っ赤な髪してさ(染めてないって言ってたけど)、やぶ睨みでさ(目が悪いんだって)、見上げるような背の高さでさ(バスケしてんだよね)、猫背で歩いてる姿はとてもマジメな男子生徒って感じじゃないんだけど。
けど、本がものすごく好きで、どんなものでも読んでるって言ってた。
「これ、すげーおもしれーんだぜ。貸してやるからお前も読め」
無理やり押し付けてきたその文庫本は平井和正の「狼の紋章」
ゲッと思った。
こんな本今まで読んだことない。
けど、読んだら感想聞かせろって言うから何とか読んだんだけど。
けっこうおもしろかった。
それからだ。
何となくあたしも早く行くようになって、それでいろいろ話すようになって。
(いつのまにか好きになってたんだよなあ)
物思いにふけってたら、つんつんと背中を突付く人あり。
ルミちゃんだ。
メモがまた来た。
『そー、そんなこと書いたの。
でもなんでそれがヤマちゃんだって
わかったんだろーねー。
まー、もーいいかー。
消すだけだったらアレだけど
きっと気にかけてるってことだよ』
そーかなー?
気にかけてる?
あたしは、またしてもチラっとアイツに視線を向けた。
「!!」
ゲゲッ!
アイツがこっち見てる。
うわー、すげー睨んでるしー。
ひぇー。
あたしは慌ててメモをルミちゃんに渡した。
『ルーミちゃーん!
アイツがー、今ーこっち睨んでたー。
あたしと目合っても視線そらさないのー。
うぇー、こぇー!』
『嬉しいかい?
そーかい、そーかい。
いーねー、春だねー。』
あのー、ルミちゃん、今12月ですけどー。
まったくもう。
あたしはもう一度アイツに目を向けたけど。
もううつむいて舟漕ぎだしてた。
あたしは、大きなため息をついて。
やっとのことで、先生が黒板に書いた例題をノートに書き写した。
アイツと何となくギクシャクしだしたのは、席が替わってからだった。
同じクラスになって初めての時には一番前のど真ん中の席で隣同士で、それでいろいろ話すようになって仲良くなったんだけど。
でも、やっぱりアイツって顔に似合ってサドっ気があったんだよね。
けど、あたしはわりとマゾっ気があるほうで。
いぢめられることにちょっと快感っていうか、ゾクゾクってするようなところがあって。
あ、でも、もちろん好きな人に、だよ。
本格的な苛めっていうのとも違うからね。
小学生の時。
クラスで好きな男の子がいて、それでその子の鉛筆とかを「もーらいっ!」って感じで目の前で取って、「あー、返せよー」とか言いながらあたしのことを追いかけてくる。
追いかけられる───
そういうことになんでかゾクゾクする。
それがなんかクセになっちゃって。
何か悪さする。
それを怒って誰かが追いかけてくる。
それが快感になっちゃったあたし。
あたしを追いかけて。
あたしをいぢめて。
あたしを好きになって。
あたしを好きなようにして。
そんな倒錯的なキモチに陥っちゃう。
やっぱりあたしって変態なんだろうか。
アイツは、あたしに容赦しない。
仲良くしてても、絶対に油断できないヤツだった。
いつだったかも。
「おい山内」
「うぇっ?」
「うぇっ、じゃない。俺は化けモンかっ!」
「ひぇー、お許しを〜」
「許さん。お仕置きだっ!」
そして持ってた本でバコンとはたかれた。
かなーり痛かったけど。
けど、なんでか幸せだった───やっぱりマゾだよ、あたしって。
だけど、なんでだろう。
いつの頃からか、アイツはあたしにちょっかい出さなくなってきた。
席が替わってからは特に、いつも睨みつけてるだけで話し掛けてもくれなくなった。
あたしはとたんに悲しくなって。
それでいつも親友のルミちゃんに慰めてもらってたんだ。
「アイツには中学から付き合ってる女いるんだって」
そう言ってた女がいた。
すごい焼きもちやきだとか。
すごい美人だとか。
なんかそれってあたしへの当てつけですかーって感じ。
けど、そうだよなー。
アイツに彼女がいないわけないよなーって。
そう思ってる自分がちょい情けなかったけど。
(はぁぁぁ…)
あたしはその日掃除当番だった。
みんなが机を後ろに運び、用のないもんはゾロゾロ帰っていくのをボーッとしながら眺めてた。
ああー、アイツも帰るのかなーって、そう思って何気なくそっちに顔を向けたら───
「てめぇー、何笑ってやがる!」
「ひぇっ??」
突然どかどかとあたしのところまでやってきたアイツ。
ものすごい剣幕で怒鳴りつけてきた。
一瞬シーンとなる教室。
えー、あたし笑ってないもーん。
なんでー??
「来いっ!」
「ひっ!」
アイツがあたしの手を乱暴につかむ。
なになになになにぃぃ───???
あたし、何もしてないよー??
なんでー??
まったく何が起きてるのかわかんないまま、あたしはどっかに連れて行かれようとしてた。
「痛いよー、やめてよー」
「……………」
アイツは何も言わずにどんどこ歩いていく。
えーと、この先には………
体育館の裏っかわにある、今は使われてない旧体育倉庫。
別名、栄高ホテルと言われている。
恋人たちのムフフな空間。
げげっ、なんであたしがそんなところに連れ込まれなくちゃならないの?
しかも、しかも、アイツと───嬉しいじゃないか、こんにゃろ。
(とと、ニマニマしてるばやいじゃない)
ワケがわからん。
この倉庫はそれでもまだ活用されてて。
それで取り壊されてないんだけど。
けど、大人たちはこの倉庫が生徒たちにどういう使われ方をしているかなんて知らない。
つか、知ってる先生もいたりして。
だって、隣のクラスのケーコちゃんも、生物の小田切とムムムなことしちゃったとか言ってたしー。
アイツはあたしを倉庫に押し込むと、倉庫の中にあったホウキを扉に立てかけた。
これが中に入ってくるなという暗黙の合図。
うげげげっ、だからー、なんでこんなことに??
しばらく、アイツはその場にしりもちついてしまったあたしを睨みつけてた。
ううう、何か言わなくちゃ、何か。
「あ…あの……」
「いいかげんにしろよ!」
「うぇっ?」
「あの黒板に書いてたことだっ!」
「えーと、黒板って……なんであたしだって?」
「字がお前の字だった」
あっちゃー。
そうだったんかー。
あたしの字、確かにクセあるもんなー。
「男に生まれたかっただと?」
「あーと…」
「仲間になりたかっただと?」
「えーと…」
「笑わせんじゃねぇっ!」
「うーと…」
「男なんかとこんなことできるかっ!」
「ひぇぇぇぇぇぇ!!!」
いきなりだった。
アイツがあたしの上に覆い被さってきて。
あたしはそのままアイツの思いのままに───
「バーたれ」
「あによ」
「お前ー、なんで俺の熱い視線をシカトこいてたんだっ」
「あ・つ・い・しせんだとぉぉぉ??」
あたしはガバッと起き上がった。
あれの、あれのどこが熱い視線なんだよっ!
憎い相手を睨みつけてる以外どんな視線に取れっていうんだ、あれをっ。
「今まですぐ横にいてさ。それで見てられたお前の顔が。あんな遠くにあるよなーって。それでじーっと見て気づかねーかなーって思って見てやってるのに、お前シカトするんだぜー、俺、すっげー傷ついちゃってたんだぜー」
「だからって睨むことないじゃん」
「睨んでねーよ。お前の顔が見えないから、目ー細めてただけじゃんか」
「……………」
そうだった。
こいつってば極度の近眼だった。
眼鏡かけろって言っても「いやだ」とか言ってかけなかったんだよね。
かけたほうが絶対かっこいーのに。
そっかー、そうだったんだー。
「クスクスクスクス……」
「なに笑ってんだっ」
「あ、ごめん。でもさ、あんた彼女がいるってサエコが言ってたよ」
「彼女ー? あー、それサエコのことだよ」
「ええっ?!」
「けど、中学んときに付き合ってて、とっくの昔に別れてるぜ」
なーんだ、そうだったんだ。
ただのやっかみだったんかー。
「あ……」
「まだ、男になりたい?」
アイツの手があたしの身体をまさぐった。
まったく、このスケベが。
まだヤりたいんか。
けど、ま、いっか。
「やっぱ、女がいい♪」
そうして、あたしたちは第二ラウンドに突入したのだった。
12月だというのに、全然寒くない午後だった。