─1─

 だって好きなんだもん。
 どうあっても彼にこの思いを伝えるんだ。
 高校二年最後の春休み。
 今度はどうなるだろう。
 ちゃんとこのループから逃れることができるだろうか。
 私─古山真衣(ふるやままい)─は手に持った紙を握り締め、音楽室のドアを開けた。
 今度こそ───



「来海くん」
 音楽室には彼─春日来海(かすがきさらみ)─が一人。
 それもいつものこと。
 南の窓から差しこむ午後の陽射しもまったくおんなじ角度。
「よお、古山」
 椅子に座り、足を行儀悪く机にのせたまま銀色に輝くトランペットを布で磨くかっこうもそのまま。
 私を振り返り、微かに微笑んで声をかける姿も。
「…………」
 私は思わず涙が出そうになった。
 手にした紙がくしゃくしゃになりそう。
 いや、もうなってる。
「どうした?」
 しきりに動かしていた布をとめ、不思議そうな顔を向ける。
 どうしたらいいのだろう。
 だって私は彼が好き。
 彼が好きなんだから、私の気持ちを告白したっていいじゃない。
 それ以外私にできることって何がある?
 それとも告白しちゃいけないってことなの?
 でも、やっぱり私はこうするしかなかった。
「来海くん、これ見て」
「なんだよ」
 私の思いつめたような言葉に、彼は何かを感じてくれたのか、ペットを机に置くと立ち上がり近づいてきた。
 私は涙目のまま手にした紙を開いた。
 それは実は習字をするときの半紙で、私はそれに「すき」という言葉を筆で書いてきていたのだ。
 書道五段の持ち主である私である。
 なかなかの達筆であると自負してもいる。
 人が聞いたら呆れるだろうけど。
「…………」
 彼の息を飲む音が聞こえた。
 私はやっぱり怖くて目が開けられない。
 目を閉じたまま、目前にいるはずの彼に向かって「すき」と書いた半紙を広げたまま、時間が無情にも過ぎていく。
 そのとき───
「なんで……」
(あ……やっぱり……?)
 次の瞬間、彼の言葉を最後まで聞くことはなく、私はその場で失神してしまったのだ───それは何度目の失神だったろう。



「真衣、起きなさい!!」
「…………」
 私は目覚めた。
 まただ。
 また戻ってしまった。
 これで何度この朝を迎えたことだろう。
 いつになったら高校二年最後の春休みの一日を、きちんと終わらせるときが来るんだろうか。
 私はゆっくりベッドから起き、制服に着替えて階下に向かった。
「明日は始業式でしょ。三年生になるんだから、もういいかげん一人でしゃんと起きなさいよね…て、あら、なんで制服着てるの?」
「別にいいでしょ。部活があるの」
 何度も聞いた母の言葉。
 そして、何度も言った私の返事。
 それから、私は食卓に目を向けた。
 目の前に並べられた卵焼きに白いご飯、豆腐のお味噌汁に千切りのキャベツ。
 キャベツにはマヨネーズがちょびっとのっかって───何もかも寸分違わず同じメニュー。
「俺、もーいくわー」
「あっ、こら! 和夫ったら、ご飯食べなさい!!」
「遅れると先輩にどやされるんだ!」
「まったく……サッカーやってる途中に倒れたって知らないからねっ!」
 バタバタと走り去る弟。
 怒鳴る母。
 何もかも同じ光景。
 何度も何度も見た光景。
 これからまた何度も見ることになるかもしれない。
「…………」
 私はため息をついて立ち上がった。
「あ、真衣まで! だめよ、ちゃんと食べなきゃ」
「今日はほしくない」
「まったく……せっかく愛情こめて作ったのに………」
 ぶつぶつ呟きながら小言を言う母。
 この間とはちょっと違う。
 あのときはちゃんとご飯食べて学校行ったからなあ。
 でも、その前は食べれなかった。
 だけど、そのときの母の言葉は「あの日?」というからかいの言葉だった。
 とにかく、また考えなくちゃ。
 今日一日をどう過ごすか、それに私の未来がかかってるんだから。



 そもそもの始まりは何だったんだろう。
 一番最初のときに私は真美ちゃんにも言った。
 二年最後の春休みの日。
 その前日の部活のときに私はこう言った。
「私ね、明日来海くんに告白しようと思う」
「そっか。そうだね」
 真美ちゃんは少し歯切れの悪い返事をした。
 わかってる。
 前にも言われた。
 告白するんならもっと早くにしなよって。
 でも、しかたないじゃない。
 私が彼のことを好きになったのが、二年になってもうだいぶ経った秋の文化祭の頃なんだもの。
 好きになってすぐに告白すればよかったんだろうけど、ここに至るまではものすごく私悩んだんだから。
「彼、音大目指してるからね。三年になったら彼女どころじゃなくなると思うんだけど」
 真美ちゃんはそう言った。
 でも、私だって彼の大学目指して勉強してるんだよ、ちょっと危ないけど。
「まあ、あんたがそれっくらいの覚悟があってするんだから、私は応援するよ。だけど、もしうまくいったとしても、絶対に彼と同じ大学に受かりなよ。あいつ、ずっと傍にいないと冷めちゃうタイプだから」
「うん…」
 なんで真美ちゃんがここまで彼のことに詳しいかというと、実は彼女は来海くんの幼馴染であり、元彼女だったんだ。
 付き合ってたのは中学の頃のことで、彼女が彼のことを好きになって、それでまあ何となく付き合いが始まったっていう感じだったんだって。
 で、普通そんな元彼女と友達になんかなれるわけないじゃん、心情的に。
 まあ最初はね、真美ちゃんが彼と付き合ってたことあるなんて知らなかったの。
 二年になって来海くんや真美ちゃんと同じクラスになったんだけど。
 最初の頃は私にも他にちょっと気になる男の子がいたんだ。
 吉木くんっていって、柔道してるからか体格もガッシリしてて、スラリとした背の高さの来海くんとは正反対の人だったんだけど。
 でも、メガネかけててそれがとってもハンサムな人だったのね。
 どっちかっていうと、来海くんより吉木くんのほうが顔はいいと思う。
 それにね、どーでもいいことなのかもしれないけれど吉木くんってすっごく英語がペラペラで、しかもこれがまた低音のステキな声なもんだから、いつだったか音楽の時間にビートルズの「ミッシェル」を歌ったのを聞いて以来もーメロメロになっちゃってさ。
 いいかげん自分でもなんてミーハーなんだと思ったけれど、いいなー、好きだなーと思ったの。
 でも、彼には好きな人がいるって知ったのよね。
 しかも、その橋渡ししたのがこの私。
 じょーだんじゃないわよ、まったく。
 真美ちゃんとまだ親密になる前に、一年のときから仲の良かったカオリちゃんって子がいたんだけど、吉木くんってばそのカオリちゃんが好きで私に頼んできたのよ。
「この手紙渡してくれる?」
「……………」
 断れるわけないじゃん。
 そしたら、あれよあれよというまに公認のカップルになっちゃってさ。
 それ以来、何となく気まずくてカオリちゃんと疎遠になっちゃったわけ。
 で、そんなときに真美ちゃんが近づいてきたの。
「ねえ、古山さん、あなた臨時で合唱部に入ってくれない?」
「合唱部?」
「ええ。うちの高校ってブラバンは活発だけど、なぜか合唱部って人気なくてね。今度、市の音楽祭があるんだけど人数が足りなくて出場するにしても困っちゃってて。ほら、あなた音楽の時間で歌のテストの時、とってもいい声してたじゃない? ねえ、助けると思って入ってくれないかなあ」
 私もね。
 歌うことは大好きだったし、今失恋してなーんにもやる気が出なかったものだから、この誘いになんとなく運命みたいなものを感じたの、大げさかもしれないけれど。
 そこで私はすぐさま合唱部に入ることにした。
 ああ、もしかしたら、あのとき合唱部になんか入らなかったら、こんなメビウスの輪の時間に取り込まれることにもならなかったかもしれないのにさ。
 でも、そんな大変な運命が私に待ちうけていようとは、いったいこのとき誰が想像しただろう。



 合唱部の部室は音楽室の隣にあるピアノ室だった。
「音楽室はブラバンが使うから、私たちは使わせてもらえないのよ」
 憮然とした声の真美ちゃん。
 ブラバンの顧問の先生は松田先生というんだけど、一応合唱部の顧問でもあるのね。
 だけど、あきらかにブラバンと合唱部とを差別してるよーな気がする。
 ブラバンの練習はすごく熱いれてやってるけど、合唱部のは時間も少ないし、なんとなく適当な感じがするんだ。
 最初そう聞いたときは「まさかー」と、先生たるものがひいきするなんてって思ったけれど、本当にそうだったよなー。
 でもま、正式な部員はほんと数名だし、私のような臨時の部員のほうが数が多いとなるとレベルもあまり高くなくなるわけだから、教える先生の熱意も薄れちゃうのかもね。
 そうこうしてるうちに、市民音楽祭の始まる前に文化祭が来ようとしていた。
 すると、うちのクラスからバンドを組んで文化祭でライブをする人がいるって真美ちゃんから聞いたのね。
 それが春日来海くん。
 以前から「きさらみ」ってヘンな名前だなーとは思ってたけれど、それほど彼に対して関心があるわけじゃなかったのね。
 背は確かに180以上あってスラリと高かったけれど、そんなに整ったハンサムってわけじゃなくって十人並。
 でも、なんでか人気はあったのよね。
 なんでかなーと思ってたんだけど、その文化祭で私はその理由がわかったのよ。
 バンドといってもロックとかそんなんじゃなくて、管楽器とシンセサイザーを使ったフュージョン系で、いわゆる歌のない音楽ってやつ。
 もともと私もフュージョンは好きだったので、絶対聞こうと思ってたのよね。
 ブラバンの人たちで構成されたバンドで、トランペットを来海くんが、他の部員たちがシンセサイザーとかサックスとかを操って、昔流行った曲目を演奏してた。
 私はあまり聞いたことなかった曲で、後に演奏した本人から聞いたんだけどね。
 合唱部の部室とブラバンの部室である音楽室は隣同士だから、よく彼とも出会ってたんだけど、ある日、私は思い切って文化祭のときのあの曲はなんという曲か聞いてみた。
「ハーブ・アルパートって知ってるか? その中でもライズっていう曲は最高なんだ。よかったらCD貸すよ」
 もうその頃は、完全に彼の虜になってたので、天にも昇る気持ちだったよなあ。
 だってね。
 いつもは詰襟の学生服で何となくやぼったい感じの彼だったのに、文化祭のときはタータンチェックのカッターとGパン、流れる汗を吹くための水色のタオルを首にひっかけ、トランペットを吹くその姿がめちゃくちゃカッコよくて。
「だっさい服だよねー。しかもタオルなんて首にまいてさ。まるでオヤジじゃん」
 私がカッコいいって言ったら、そのときそんなふうに真美ちゃんは言ったんだけど。
 私は彼女の言い方に腹が立ってしょーがなかった。
 なにさ、そんなことないやいって。
 まあ、そのときは彼女と彼との関係を知らなかったからだったのだけど、今なら彼女の気持ちもわからないではないな。
 だけど、あの文化祭の後から、もー私ってばストーカーみたいにつきまとってたよなあ。
 丁度文化祭が終わったあたりから、もう三年生は部活をやめて受験に専念するようになるからということで、二年の彼が部長となった。
 彼は毎日のように部活が終わったあと、夜遅くまで音楽室に残ってなんかかんかやってたよ。
 トランペット吹いたり、手入れしたり、時にはピアノ弾いたりエレクトーン弾いたりなんかして。
 あと、資料とかCDのプレーヤーなどを置いた小部屋があるんだけど、それは通称「松田部屋」って言われてて、先生の好きなビートルズのCDとか他洋楽のCDがわんさかある部屋とかで彼はよくCDを聞いてた。
 それまでそんなに洋楽に詳しくなかった私だけど、彼会いたさに音楽室に通うようになって、私も松田部屋に入れてもらってよく一緒にCD聞かせてもらった。
 そういうことがあるとすぐ噂ってたつのよね。
「古山さんって春日くんと付き合ってるんだってね」
 あるときクラスの女の子がそう聞いてきたことがあった。
 確か彼のことが好きだって言ってた子だったと思う。
 私が授業中に彼が居眠りしてたところを後ろからつついて起こしたことがあったんだけど、それを目撃してそう声をかけてきたらしい。
「えー、別に付き合ってるってわけじゃないよ。そりゃそうなりたいけどね」
「悔しいけど、仲良さそうでいい雰囲気だなと思ったの。頑張って」
「…………」
 なんか感動したなあ。
 私とっても勇気出てきたもん、そんなこと言われて。
 それを真美ちゃんに言ったら、
「うん。けっこーあんたたち似合ってると思うよ」
「えへへ」
 そんなこと言われたら、もう舞いあがっちゃいますよ。
 そんな感じで秋は静かに暮れていき、冬が来ようとしていた。
 私はその秋頃からせっせとマフラーなんぞ編んで、来海くんにプレゼントするために頑張ったんだ。
 クリスマスのプレゼントで渡そうって。
 そのときに私の気持ちも伝えれたらいいなーって。



  2へ続く


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